大徳寺玉林院
4月に行きました大徳寺玉林院です。
慶長8年(1603)に、当時著名な医学者で御典医や豊臣徳川の侍医も務めた
曲直瀬家三代目 曲直瀬正琳[まなせしょうりん]が、
大徳寺142世の月岑宗印を開山にして創建しました。
この琳をばらして、王林→玉林院となったそうです。
修復工事をされていたので、公開がしばらくぶりです。
よく通るお寺の前に初代 《曲直瀬道三墓所》の碑があって、
(いったい誰やねん!?)と思っていましたが、
先日NHK《歴史ヒストリア》でもとりあげられていました。
当時のスーパードクターで、治療だけでなく
教育にも力を注いだそうです。
歴史ヒストリアHP
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/270.html
中には保育園があり、いつも子どもたちの声がにぎやかですが、
この日は日曜とあって静かです。
奥へ奥へと入ります。
珍しいことにここの本堂は8室です。
だいたい禅宗の方丈は6室と決まっています。
方丈庭園
ここは襖絵がみどころです。
狩野安信の竹林七賢図や
益信の琴棋図書画図
探幽の山水図があります。
探幽の山水図は晩年のもので、結構枯れた感じがします。
探幽は還暦を迎えてから行年を書いています。
コレは。。。何歳って書いてあったかな???時間が立ちすぎて忘れました。
慶長8年(1603)に、当時著名な医学者で御典医や豊臣徳川の侍医も務めた
曲直瀬家三代目 曲直瀬正琳[まなせしょうりん]が、
大徳寺142世の月岑宗印を開山にして創建しました。
この琳をばらして、王林→玉林院となったそうです。
修復工事をされていたので、公開がしばらくぶりです。
よく通るお寺の前に初代 《曲直瀬道三墓所》の碑があって、
(いったい誰やねん!?)と思っていましたが、
先日NHK《歴史ヒストリア》でもとりあげられていました。
当時のスーパードクターで、治療だけでなく
教育にも力を注いだそうです。
歴史ヒストリアHP
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/270.html
中には保育園があり、いつも子どもたちの声がにぎやかですが、
この日は日曜とあって静かです。
奥へ奥へと入ります。
珍しいことにここの本堂は8室です。
だいたい禅宗の方丈は6室と決まっています。
方丈庭園
ここは襖絵がみどころです。
狩野安信の竹林七賢図や
益信の琴棋図書画図
探幽の山水図があります。
探幽の山水図は晩年のもので、結構枯れた感じがします。
探幽は還暦を迎えてから行年を書いています。
コレは。。。何歳って書いてあったかな???時間が立ちすぎて忘れました。
中は見られませんが、茶室も有名です。
蓑庵(さあん)はわらが壁に出ていて、蓑のような様子からそう呼ばれるそうです。
竹のむこうににじり口があるらしい。
南明庵
豪商鴻池了瑛が寛保2年(1742年)に先祖である山中鹿介を祀るために建てたもので
、鹿介の位牌が安置されている。
って、鴻池の祖先でしたか。
尼子氏忠臣 山中鹿介の墓所は、
曲直瀬道三の墓所のすぐそばの本満寺にもあります。
「山中鹿之助墓所」とあり、やっぱり(誰やねん?)と検索していました。
墓所は全国にいくつもあるようです。
背後が細川家菩提寺 高桐院の竹林
この日は風が強く竹が折れそうなほどでした。
この敷き瓦が赤楽でとってもお高いのだと思います。
獅子口の瓦がかわいいです。
修復したてのこけら葺もきれい。
禅寺一斉拝観も今週いっぱいです。
あまり行けなかったな~
大徳寺でみかけた花
花はツツジのようなんだけれど、
シャクナゲのように一つの茎に三つくらいついている。
おしべもサツキより多い
葉っぱはツルツルで、三枚?
ミツバツツジの一種?
よくわからない花でした。








