弁慶と牛若丸
有栖川というと、右京区の有栖川を思い浮かべますが、
京都市内には紫野、賀茂と三つのありす川があったそうです。
昔は小川がたくさんあり、今はないところが多いのですが、
ここも痕跡だけがあります。
そして、その川は南へと下りますが
大徳寺にやってきました。
この門は梶井門といいますが、いつも閉まっています。
大徳寺が鎌倉末期に創建される前
ここは梶井御所といって、天台座主のおすまいだったそうです。
ここにも橋がかかっているのがわかるでしょうか。
この橋をごしょの橋 五常の橋 五条の橋。。。
というそうです。
つまり弁慶と牛若丸が出会ったのは鴨川にかかる五条の橋でなく
このごじょうの橋だという説があります。
今宮神社の北側には牛若町があり
牛若丸誕生井があります。(私有地ですが、もとは大徳寺の塔頭があったそうです。)
大徳寺の南のほうにはこんな駒札が。。。
民家なので、中には入れませんが、弁慶の腰掛石があります。
その一本南の通りには、常盤井
義経の母 常盤御前がここでお化粧をしたとか。。。
こんなにそばに史跡があるのだから、こっちの説のほうが正しい気がしますね。
ちなみにみんみんさんが歴史ウオークに参加され、
弁慶の腰掛石 を撮っておられます。
勝手に参考にさせていただきました。
京都市内には紫野、賀茂と三つのありす川があったそうです。
昔は小川がたくさんあり、今はないところが多いのですが、
ここも痕跡だけがあります。
そして、その川は南へと下りますが
大徳寺にやってきました。
この門は梶井門といいますが、いつも閉まっています。
大徳寺が鎌倉末期に創建される前
ここは梶井御所といって、天台座主のおすまいだったそうです。
ここにも橋がかかっているのがわかるでしょうか。
この橋をごしょの橋 五常の橋 五条の橋。。。
というそうです。
つまり弁慶と牛若丸が出会ったのは鴨川にかかる五条の橋でなく
このごじょうの橋だという説があります。
今宮神社の北側には牛若町があり
牛若丸誕生井があります。(私有地ですが、もとは大徳寺の塔頭があったそうです。)
大徳寺の南のほうにはこんな駒札が。。。
民家なので、中には入れませんが、弁慶の腰掛石があります。
その一本南の通りには、常盤井
義経の母 常盤御前がここでお化粧をしたとか。。。
こんなにそばに史跡があるのだから、こっちの説のほうが正しい気がしますね。
ちなみにみんみんさんが歴史ウオークに参加され、
弁慶の腰掛石 を撮っておられます。
勝手に参考にさせていただきました。



