妙心寺玉鳳院
冬の観光閑散期 特別公開されているお寺があります。
妙心寺の源流である玉鳳院です。
北朝の花園天皇は、大徳寺開山の宗峰妙超の弟子となり
自分の離宮をお寺となさったのが妙心寺です。
すでに高齢だった妙超は弟子の 関山慧玄(かんざんえげん)を推挙し
花園上皇はここに関山慧玄を迎えられました。
中は撮影禁止なので、唐門その1
この平唐門は最古のもので、妙心寺で唯一応仁の乱から焼け残ったとのこと。
それともこれ?
方丈の襖絵は狩野探幽の弟 安信
真ん中の部屋は写真の龍です。
本来仏間でご本尊がいらっしゃる場所には花園上皇のご木像が安置されています。
その両側の戸袋のようになったところには、唐獅子の画です。
御所のように両側で護っているのでしょうか。
西側の部屋は花鳥図(奥)麒麟 東側は山水図があります。
方丈の後開山堂、桃山様式の名勝庭園を拝見します。
その庭園の真ん中には風水泉という井戸があり
この場所で関山慧玄が立ったままお亡くなりになったそうです。
僧として一番尊い亡くなり方で立亡りゅうぼう
その次にりっぱなのが坐脱、座禅しながら、亡くなることです。
このお寺にはご住職はおられないそうで、輪番でお祀りされ
開山堂では絶やさずろうそくとお香がたかれています。
ちょっと意外だったのは、豊臣秀吉の遺児鶴松君の御霊屋があったことですね。
今の智積院(三十三間堂)が建立される前は、
鶴松君をお祀りした祥雲寺だったは知っていましたが、
家康により取り壊された後、どうなったかは知りませんでした。
御霊屋には鶴松君のご木像(いつのものか知りません)が祀られています。
天井にはさみしくないように天女が描かれていました。
追記
妙心寺で葬儀があって、ここに葬られたそうです。
また織田信長親子、武田信玄親子のお墓?供養塔?もありました。
入り口にあった牛石
関山慧玄はここに来る前、牛を追い農耕をしていたそうです。
上洛する際には牛がわかれを惜しみました。
こちらは檀家さんが600年遠忌におさめたもの。
仏像がないせいでしょうか。
他のお寺とは少し違った空間でした。
妙心寺の源流である玉鳳院です。
北朝の花園天皇は、大徳寺開山の宗峰妙超の弟子となり
自分の離宮をお寺となさったのが妙心寺です。
すでに高齢だった妙超は弟子の 関山慧玄(かんざんえげん)を推挙し
花園上皇はここに関山慧玄を迎えられました。
中は撮影禁止なので、唐門その1
この平唐門は最古のもので、妙心寺で唯一応仁の乱から焼け残ったとのこと。
それともこれ?
方丈の襖絵は狩野探幽の弟 安信
真ん中の部屋は写真の龍です。
本来仏間でご本尊がいらっしゃる場所には花園上皇のご木像が安置されています。
その両側の戸袋のようになったところには、唐獅子の画です。
御所のように両側で護っているのでしょうか。
西側の部屋は花鳥図(奥)麒麟 東側は山水図があります。
方丈の後開山堂、桃山様式の名勝庭園を拝見します。
その庭園の真ん中には風水泉という井戸があり
この場所で関山慧玄が立ったままお亡くなりになったそうです。
僧として一番尊い亡くなり方で立亡りゅうぼう
その次にりっぱなのが坐脱、座禅しながら、亡くなることです。
このお寺にはご住職はおられないそうで、輪番でお祀りされ
開山堂では絶やさずろうそくとお香がたかれています。
ちょっと意外だったのは、豊臣秀吉の遺児鶴松君の御霊屋があったことですね。
今の智積院(三十三間堂)が建立される前は、
鶴松君をお祀りした祥雲寺だったは知っていましたが、
家康により取り壊された後、どうなったかは知りませんでした。
御霊屋には鶴松君のご木像(いつのものか知りません)が祀られています。
天井にはさみしくないように天女が描かれていました。
追記
妙心寺で葬儀があって、ここに葬られたそうです。
また織田信長親子、武田信玄親子のお墓?供養塔?もありました。
入り口にあった牛石
関山慧玄はここに来る前、牛を追い農耕をしていたそうです。
上洛する際には牛がわかれを惜しみました。
こちらは檀家さんが600年遠忌におさめたもの。
仏像がないせいでしょうか。
他のお寺とは少し違った空間でした。





