ねねの寺 圓徳院
12月11日に訪問した東山 圓徳院です。
豊臣秀吉の妻 ねね(高台院)が建てた高台寺の塔頭で、、
58歳から77歳で没するまですごされた地です。
それを甥の木下利房がねねの没後
木下家の菩提寺とされました。
生前はねねを慕う大名諸侯がこの地に訪ねたとか。。。
ねねの人徳をうかがわせますね。
豊臣家を滅ぼした家康でさえ慕っていたようですから。
露地、周辺庭園は北山安夫氏が整備
北山氏といえば、建仁寺の庭園もてがけられていますね。
方丈前庭
おどろいたことに、まだ紅葉が。。。!
平成六年に方丈が解体修理され、
森薀博士指導 徳村宗悦氏作
方丈の襖絵は長谷川等伯が描いたもの
太閤桐と呼ばれる豊臣家の桐紋の唐紙に
松を描いたもの。
桐を雪にみたててあるということでしたが、
なるほど、唐紙の模様がスノーフレークに見えてきました。
もとは大徳寺三玄院にあったそうです。
実はメインのお庭は方丈庭園ではなく、北庭
国名勝指定
伏見城にあった北政所の化粧御殿の前庭を移したもので、
桃山時代の代表作。
そういえば、醍醐寺三宝院のお庭となんとなくイメージがかぶります。
賢庭作で、後の小堀遠州が手を加えた。
巨石がふんだんに置かれているところが桃山風だとか。
没後400年を迎える織部の武家手前がおこなわれていました。
武士の心得を表し、秀吉を喜ばせたお手前
圓徳院の特別公開は昨日で終了しましたが、
思ったよりもみどころの多いお寺でした。
この向いには月真院がありました。
新撰組と思想の違いからたもとを分かった伊東甲子太郎、斉藤一などの
御陵衛士が屯所とした高台寺塔頭です。
京都をウロウロしていると、知らず知らず歴史にも詳しくなります。
豊臣秀吉の妻 ねね(高台院)が建てた高台寺の塔頭で、、
58歳から77歳で没するまですごされた地です。
それを甥の木下利房がねねの没後
木下家の菩提寺とされました。
生前はねねを慕う大名諸侯がこの地に訪ねたとか。。。
ねねの人徳をうかがわせますね。
豊臣家を滅ぼした家康でさえ慕っていたようですから。
露地、周辺庭園は北山安夫氏が整備
北山氏といえば、建仁寺の庭園もてがけられていますね。
方丈前庭
おどろいたことに、まだ紅葉が。。。!
平成六年に方丈が解体修理され、
森薀博士指導 徳村宗悦氏作
方丈の襖絵は長谷川等伯が描いたもの
太閤桐と呼ばれる豊臣家の桐紋の唐紙に
松を描いたもの。
桐を雪にみたててあるということでしたが、
なるほど、唐紙の模様がスノーフレークに見えてきました。
もとは大徳寺三玄院にあったそうです。
実はメインのお庭は方丈庭園ではなく、北庭
国名勝指定
伏見城にあった北政所の化粧御殿の前庭を移したもので、
桃山時代の代表作。
そういえば、醍醐寺三宝院のお庭となんとなくイメージがかぶります。
賢庭作で、後の小堀遠州が手を加えた。
巨石がふんだんに置かれているところが桃山風だとか。
没後400年を迎える織部の武家手前がおこなわれていました。
武士の心得を表し、秀吉を喜ばせたお手前
圓徳院の特別公開は昨日で終了しましたが、
思ったよりもみどころの多いお寺でした。
この向いには月真院がありました。
新撰組と思想の違いからたもとを分かった伊東甲子太郎、斉藤一などの
御陵衛士が屯所とした高台寺塔頭です。
京都をウロウロしていると、知らず知らず歴史にも詳しくなります。