西陣 報恩寺 | 烏丸ママのブログ

西陣 報恩寺

3年前の3月11日は震災が発生しました。
京都市内の小中学校では半旗が掲げられていました。
特別授業もあったようです。
あれがいいとか、これがいいとか
そんな欲望より、何もないのが幸せ
無事吉祥を感じた日でもありました。 

さて、冬の旅 特別公開中の報恩寺です。


川はないのに、橋がかかっています。
慶長7年(1602)架橋の刻銘があり,
埋められた小川(こがわ)の名残を止める貴重な遺産です。
このお寺の面する小川通りはその川の名前から来ています。
小川通(おがわどおり)にはお茶のお家元 千家もあります。

門から逆方向を見ると、機屋さんがあります。



こちらのお寺は鳴虎さんと言われているそうですが、
このお軸のためです。

中国の画人四明陶佾(しめいとういつ)が描く猛虎の絵を
豊臣秀吉の所望により聚楽第の床へ飾ったところ,
夜中に虎の鳴き声が聞こえ,秀吉は一睡もできませんでした。
そのため寺に戻され、以来鳴き虎と呼ばれるようになったそうです。
右上に顔が切れていますが、カササギが描かれており、
カチカチ(勝ち)と鳴くことから、秀吉は好んだそうです。
またこの虎は右から見たのと、左から見たのでは太さや長さが違います。


こちらの庫裏から入ります。
入り口右手に仁王像が並んでいました。
享保年間 山門が類焼したときに、墓地に並んで立っていたとかで
墓飛びの仁王像と呼ぶそうです。
那羅延金剛(吽形)と、密亦金剛(阿形)


内部は撮影禁止。。。
本堂には黒田官兵衛、長政親子のご位牌が安置され、
「上段の間で長政公はお亡くなりになりました。」
と、説明がありました。
でも天明の大火で焼けているので、まったく同じ場所ってことではないのですが。。。

織田信長公、豊臣秀吉公の肖像画がありまして、
信長公の肖像画は亡くなってからまもなく描かれたそうで
おそらく実物に近かったことでしょう。
そのお軸には、親交の深かった近衛前久の追悼歌が書かれていました。
けきても 名残つきせぬ なみた哉 猶したはるゝ なきかおもかけ
つましき むかしの人や むかふらむ むなしき空の むらさきの雲
たし世の あはれおもへは 明くれに あめかなみたか あまるころもて
ても猶 みまくほしきは みのこして みねにかくるゝ みしかよの月
つねても たまのありかは 玉ゆらも たもとの露に たれかやとさむ
くるよの ふしとあれつゝ ふく風に ふたゝひみえぬ ふるあとの夢
(赤い字を続けて読むと、なむあみだぶ)
その手蹟の美しいこと。
さすが、寛永の三筆 近衛信尹のおとうさんだと思いました。


本堂前の庭園


お寺を出て墓地の入り口にある梵鐘
つかずの鐘と呼ばれています。


くわしい説明はこちら



大晦日にはつけるそうで、
平等院云々は知りませんが。。。
重要文化財の鐘がつけるって、あまりないと思います。
だって平安時代ですよ!
すごいですね。