円通寺
まだ空梅雨だった6月6日、洛北の円通寺に行きました。
もとは後水尾天皇の幡枝御所だったところで、
霊元天皇の乳母 圓光院文英尼が禅宗のお寺になさいました。
霊元天皇は後水尾天皇が58歳
の折の第十六皇子
能筆家で父に負けず劣らずの子沢山。
石垣の模様がおもしろかったので、山門のうちから外に向かって撮りました。
比叡山を借景とした国名勝庭園
やっぱり苔がちょっと茶色い
今頃なら大丈夫かな
後水尾天皇は比叡山が美しく見えるこの地を選ぶのに12年を費やしたとか。
でも天皇の玉座だったところからは、比叡山が見えなかったりする。
石組みは紀州の緑泥片岩を半円状に配しています。
庭の左奥に石を置くというのは、江戸初期の形式だそうです。
作庭したのは不明ながら、妙心寺 雑華院に似通っているところから
重森千青氏の本では、玉淵ではないかと推測しておられます。
先日の桂春院も玉淵ではないかと言われています。
日蓮宗の僧でありながら、あっちこっち禅宗のお寺に行っていたのかしら。
遠くてわかりづらいのですが、
この生垣はいろんな木を植えた混ぜ垣
混ぜ垣といえば、修学院離宮の大刈り込みを思い出しますね。
この地は水の便がよくなかったことから、
後水尾天皇は修学院離宮の造営を手がけることになるのです。
はっきりいって、このお寺は交通の便が悪く、
最寄り駅から歩くと20分くらいかかるのですが、
リピーターが多いらしいです。
一人旅には最適なお寺です。
もとは後水尾天皇の幡枝御所だったところで、
霊元天皇の乳母 圓光院文英尼が禅宗のお寺になさいました。
霊元天皇は後水尾天皇が58歳
の折の第十六皇子能筆家で父に負けず劣らずの子沢山。
石垣の模様がおもしろかったので、山門のうちから外に向かって撮りました。
比叡山を借景とした国名勝庭園
やっぱり苔がちょっと茶色い
今頃なら大丈夫かな
後水尾天皇は比叡山が美しく見えるこの地を選ぶのに12年を費やしたとか。
でも天皇の玉座だったところからは、比叡山が見えなかったりする。
石組みは紀州の緑泥片岩を半円状に配しています。
庭の左奥に石を置くというのは、江戸初期の形式だそうです。
作庭したのは不明ながら、妙心寺 雑華院に似通っているところから
重森千青氏の本では、玉淵ではないかと推測しておられます。
先日の桂春院も玉淵ではないかと言われています。
日蓮宗の僧でありながら、あっちこっち禅宗のお寺に行っていたのかしら。
遠くてわかりづらいのですが、
この生垣はいろんな木を植えた混ぜ垣
混ぜ垣といえば、修学院離宮の大刈り込みを思い出しますね。
この地は水の便がよくなかったことから、
後水尾天皇は修学院離宮の造営を手がけることになるのです。
はっきりいって、このお寺は交通の便が悪く、
最寄り駅から歩くと20分くらいかかるのですが、
リピーターが多いらしいです。
一人旅には最適なお寺です。
