京都文化博物館 《忠臣蔵と細川家》) | 烏丸ママのブログ

京都文化博物館 《忠臣蔵と細川家》)

京都文化博物館に行った目的は《八瀬童子》でしたが、
併設展の《忠臣蔵と細川家》もおもしろかったです。

何で細川家と忠臣蔵がかかわっているのかと思いましたら、
細川家江戸屋敷で大石良雄ら十七士が切腹したからなんですね。
そのときの藩主 細川綱利がまた興味深かったです。
その切腹の見取り図や画、
大石内蔵助の書状などが展示されていました。
(内蔵助は家老が代々継ぐ通称で名は良雄)
烏丸ママのブログ-130112_1410~01.jpg
切腹の図 これって禁転載でしょうね。

細川家の家督を6歳で継いだ綱利は幼かったため
あやうく細川家は改易されるところだったようです。
なかなか綱利は情に厚い方だったようで、
赤穂浪士たちを大変厚遇したようです。
細川家の他にも岡崎水野家、府中松平家、毛利家も
それぞれ赤穂浪士10人ずつ御預かりとなりましたが、
細川家と水野家は赤穂浪士を厚遇し、
江戸庶民からも賞賛されたそうです。

烏丸ママのブログ-130112_1158~01.jpg

以下はウィキペディアよりの転載。
綱利は義士たちを一目みたいと、到着を待ちわびて寝ずに待っていた。17士の到着後、すぐに綱利自らが出てきて大石良雄と対面した。さらに綱利は、 すぐに義士達に二汁五菜の料理、菓子、茶などを出すように命じる。預かり人の部屋とは思えぬ庭に面した部屋を義士達に与え、風呂は1人1人湯を入れ替え、 後日には老中の許可を得て酒やたばこも振舞った。さらに毎日の料理もすべてが御馳走であり、大石らから贅沢すぎるので、普通の食事にしてほしいと嘆願され たほどであった。

綱利は義士達にすっかり感銘しており、幕府に助命を嘆願し、またもしも助命があれば預かっている者全員をそのまま細川家で召抱えたい旨の希望まで出している。また12月18日と12月24日の2度にわたって、自ら愛宕に赴いて義士達の助命祈願までしており、この祈願が叶うようにと綱利はお預かりの間は精進料理  しかとらなかったという、凄まじい義士への熱狂ぶりであった。

 

しかし綱利の願いもむなしく、年改まって元禄16年2月、赤穂浪士たちを切腹させるようにという幕府の命令書が届く。この切腹に当たっても綱利は「軽き者の介錯では義士達に対して無礼である」として、大石良雄は重臣の安場一平 に 介錯をさせ、それ以外の者たちも小姓組から介錯人を選んだ。義士達は切腹後、泉岳寺に埋葬された。細川綱利は金30両の葬儀料と金50両の布施を泉岳寺に 送っている。幕府より義士達の血で染まった庭を清めるための使者が訪れた際も「彼らは細川家の守り神である」として断り、家臣達にも庭を終世そのままで残 すように命じて、客人が見えた際には屋敷の名所として紹介したともいわれている。


この忠恕という字に人柄が表れているようで、
素敵な字だなと思いました。