山紫水明処
江戸末期の学者 頼山陽の旧宅 山紫水明処を訪れました。
丸太町橋の北側にあります。
このあたりは当時 花街だったそうです。知らんかった。
山紫水明処は、山陽の住まい 水西荘の書斎兼茶室で、
入母屋 かやぶきの離れです。
鴨川のほとりにあり、夕刻に東山が紫に染まるのを見て、そう名づけたそうです。
山陽は1780年大阪に生まれ、江戸の昌平坂学問所で学びます。
父が福山藩の儒学者でしたが、脱藩し、自宅幽閉され、廃嫡となりました。
その後京都に出て、「日本外史」「日本政記」などを著し、
52歳で亡くなるまでの20年を京都ですごしました。
安政の大獄で処刑された頼 三樹三郎は三男です。
また山陽は煎茶を好みました。
桟は縦が竹、横は南天
天井は葦の船底天井で、壁も葦をアジロ編みにしてあります。
昭和初期の室戸台風までは、鴨川の流れが目の前まで来ていたそうで
そのせいか、縁側に欄干がついています。
降り井というそうです。
右隅に井筒があり、鴨川の伏流水をくんだそうですが、
室戸台風後、川をしゅんせつしたところ、かれてしまったそうです。
ただ、山陽の時代のものかは不明。
個人宅なので、資料が残っていないそうです。
ここを訪れる方は詩吟の愛好家の方が多いそうです。
川中島の戦いを詠んだ山陽の漢詩
鞭声粛々夜河渡 べんせいしゅくしゅくよるかわわたる
は有名ですね。(て、ここしか知りませんけど。。。)
山紫水明処の見学は事前申し込みが必要です。
見学の申し込み方法
山紫水明処の見学を希望する場合は、往復はがきに、見学日時(第2希望まで)、人数、代表者の住所・氏名・電話番号を記入し、〒605-0063京都市東 山区新門前松原町289、頼山陽旧跡保存会宛てに、拝観希望日の2週間前(必着)までに申し込んでください。見学の際には、頼山陽旧跡保存会の方による説 明を聞くことができます
入場時間/10:00~16:00
定休日/8月、12月後半~3月前半
見学料/700円
一回書いて消えてしまいました。
こまめに保存しながら、書かないとだめですね。
丸太町橋の北側にあります。
このあたりは当時 花街だったそうです。知らんかった。
山紫水明処は、山陽の住まい 水西荘の書斎兼茶室で、
入母屋 かやぶきの離れです。
鴨川のほとりにあり、夕刻に東山が紫に染まるのを見て、そう名づけたそうです。
山陽は1780年大阪に生まれ、江戸の昌平坂学問所で学びます。
父が福山藩の儒学者でしたが、脱藩し、自宅幽閉され、廃嫡となりました。
その後京都に出て、「日本外史」「日本政記」などを著し、
52歳で亡くなるまでの20年を京都ですごしました。
安政の大獄で処刑された頼 三樹三郎は三男です。
また山陽は煎茶を好みました。
桟は縦が竹、横は南天
天井は葦の船底天井で、壁も葦をアジロ編みにしてあります。
昭和初期の室戸台風までは、鴨川の流れが目の前まで来ていたそうで
そのせいか、縁側に欄干がついています。
降り井というそうです。
右隅に井筒があり、鴨川の伏流水をくんだそうですが、
室戸台風後、川をしゅんせつしたところ、かれてしまったそうです。
ただ、山陽の時代のものかは不明。
個人宅なので、資料が残っていないそうです。
ここを訪れる方は詩吟の愛好家の方が多いそうです。
川中島の戦いを詠んだ山陽の漢詩
鞭声粛々夜河渡 べんせいしゅくしゅくよるかわわたる
は有名ですね。(て、ここしか知りませんけど。。。)
山紫水明処の見学は事前申し込みが必要です。
見学の申し込み方法
山紫水明処の見学を希望する場合は、往復はがきに、見学日時(第2希望まで)、人数、代表者の住所・氏名・電話番号を記入し、〒605-0063京都市東 山区新門前松原町289、頼山陽旧跡保存会宛てに、拝観希望日の2週間前(必着)までに申し込んでください。見学の際には、頼山陽旧跡保存会の方による説 明を聞くことができます
入場時間/10:00~16:00
定休日/8月、12月後半~3月前半
見学料/700円
一回書いて消えてしまいました。
こまめに保存しながら、書かないとだめですね。