今日は何の日?
6月2日は本能寺の変があった日です。
(本能寺の変は、天正10年6月2日 ですが現在の暦だと1582年 7月1日 )
以前お知らせしていた阿弥陀寺の信長忌に行ってまいりました。
上京区寺町今出川上がる 阿弥陀寺
山門です。
幕には、織田家の家紋 木瓜
本堂では法要が営まれていました。
本堂
このとき初めて知ったのですが、430回忌と区切りのよい年でした。
十人程の僧が★散華をし、雅楽の演奏つきで盛大に法要が営まれました。
★散華 仏に供養するために華(花)を散布すること
以前書いたように信長の菩提寺は多くあれど、
阿弥陀寺に遺骸が葬られたと言われています。
そのいきさつは、いただいた由緒書によりますと、
かねてより織田信長と親交のあった開山 清玉上人せいぎょくしょうにんは
本能寺の変を聞くや、二十人余の僧徒連れ駆けつけた。
すでに寺には火が放たれ、すでに信長公は切腹された後!
そばの竹林で信長の家臣が火をたいていた。
家臣が言うには
「信長公割腹の時、必ず敵に死骸をわたすことなかれと、遺言された
しかし、敵兵に囲まれ遺骸を抱えて逃げることができないので、
やむなく火葬し、隠しておいておのおの自殺するつもりである」と。
そこで清玉上人は
「私は格別の縁のある者であるから、
火葬はもちろん将来追善供養もしましょう。」
と、言って、火葬した白骨を法衣につつみ、
本能寺の僧が逃げるのにまぎれて帰り、白骨を土深く隠しておいた。
二条城(御所)で討ち死した後継者の信忠についても続きます。
清玉上人は陣中見舞いに光秀にもちなどを差し入れ、
「戦死者には信徒が多いので阿弥陀寺に葬りたい」と申し入れ
寺僧をたくさんひきつれて、戦死者の遺骸を持ち帰り、
ひそかに信長公らの葬儀を執り行った。
遺骨が阿弥陀寺にあるのを知った秀吉は、
自分に葬儀(原文は法事)をさせろと言ってきたが、
上人はこれにとりあわなかったため、
大徳寺に総見院を建立し、葬儀をおこなった。
というのがあらましです。
詳しく知りたい方は来年行ってくださいね。
本尊は阿弥陀如来さま
その左手に信忠、信長、信広(信長の兄)の坐像
坐像の前に森三兄弟の位牌
右手に清玉上人木像
地蔵菩薩(たぶん)の左右に善導大師、法然上人坐像
伝運慶の地蔵菩薩が本堂にあるって書いてありましたが、
よくわかりませんでした。
あと、寺宝はそれほど多くなくて、
後陽成天皇勅額、
明智光秀、羽柴秀吉、松永久秀の書状
信長が本能寺で戦った槍、弓かけ、鼓、鞍掛など。
内陣の天井がこんなにきれいでした。
あら、ずれていました
前回信長父子のお墓は紹介したので、
今回は森三兄弟のお墓です。
左から森力丸、坊丸、蘭丸のお墓
果敢に戦って16,17,18歳で討ち死に
やりきれませんなあ。
女性の参拝客が思いのほか多かったです。
それも割りと若い方。
昼から行った方は30分ほど系図を示しながら
説明を30分ほど、聞けたそうです。残念。
(本能寺の変は、天正10年6月2日 ですが現在の暦だと1582年 7月1日 )
以前お知らせしていた阿弥陀寺の信長忌に行ってまいりました。
上京区寺町今出川上がる 阿弥陀寺
山門です。
幕には、織田家の家紋 木瓜
本堂では法要が営まれていました。
本堂
このとき初めて知ったのですが、430回忌と区切りのよい年でした。
十人程の僧が★散華をし、雅楽の演奏つきで盛大に法要が営まれました。
★散華 仏に供養するために華(花)を散布すること
以前書いたように信長の菩提寺は多くあれど、
阿弥陀寺に遺骸が葬られたと言われています。
そのいきさつは、いただいた由緒書によりますと、
かねてより織田信長と親交のあった開山 清玉上人せいぎょくしょうにんは
本能寺の変を聞くや、二十人余の僧徒連れ駆けつけた。
すでに寺には火が放たれ、すでに信長公は切腹された後!
そばの竹林で信長の家臣が火をたいていた。
家臣が言うには
「信長公割腹の時、必ず敵に死骸をわたすことなかれと、遺言された
しかし、敵兵に囲まれ遺骸を抱えて逃げることができないので、
やむなく火葬し、隠しておいておのおの自殺するつもりである」と。
そこで清玉上人は
「私は格別の縁のある者であるから、
火葬はもちろん将来追善供養もしましょう。」
と、言って、火葬した白骨を法衣につつみ、
本能寺の僧が逃げるのにまぎれて帰り、白骨を土深く隠しておいた。
二条城(御所)で討ち死した後継者の信忠についても続きます。
清玉上人は陣中見舞いに光秀にもちなどを差し入れ、
「戦死者には信徒が多いので阿弥陀寺に葬りたい」と申し入れ
寺僧をたくさんひきつれて、戦死者の遺骸を持ち帰り、
ひそかに信長公らの葬儀を執り行った。
遺骨が阿弥陀寺にあるのを知った秀吉は、
自分に葬儀(原文は法事)をさせろと言ってきたが、
上人はこれにとりあわなかったため、
大徳寺に総見院を建立し、葬儀をおこなった。
というのがあらましです。
詳しく知りたい方は来年行ってくださいね。
本尊は阿弥陀如来さま
その左手に信忠、信長、信広(信長の兄)の坐像
坐像の前に森三兄弟の位牌
右手に清玉上人木像
地蔵菩薩(たぶん)の左右に善導大師、法然上人坐像
伝運慶の地蔵菩薩が本堂にあるって書いてありましたが、
よくわかりませんでした。
あと、寺宝はそれほど多くなくて、
後陽成天皇勅額、
明智光秀、羽柴秀吉、松永久秀の書状
信長が本能寺で戦った槍、弓かけ、鼓、鞍掛など。
内陣の天井がこんなにきれいでした。
あら、ずれていました

前回信長父子のお墓は紹介したので、
今回は森三兄弟のお墓です。
左から森力丸、坊丸、蘭丸のお墓
果敢に戦って16,17,18歳で討ち死に

やりきれませんなあ。
女性の参拝客が思いのほか多かったです。
それも割りと若い方。
昼から行った方は30分ほど系図を示しながら
説明を30分ほど、聞けたそうです。残念。