金戒光明寺と熊谷直実
私が金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に特別な思いを抱くのは
会津藩の悲劇に加え、
熊谷直実ゆかりの寺であることです。
熊谷直実は源氏の御家人でした。
一の谷の合戦で、平氏の武士を討ち取ろうとしたところ、
自分の息子と同じくらいの若武者だったため、
逃がしてやろうとします。
しかし、源氏の味方が背後にせまっており、
「自分が首を落として、供養しましょう」
と、泣く泣く首をとりました。
その後、その若武者は平敦盛と判明。
17歳だったといわれています。
敦盛は笛の名手で、昔の子供は唱歌で習いました。
そして、その言葉に違わず、直実は法然上人の弟子となり、
ここで出家したのでした。
直実が鎧を脱いで、かけたといわれる
鎧かけの松(2代目)
御影堂
そして、直実と敦盛の供養塔が向かいあって
建っています。
直実堂の前に立つ直実の供養塔
その北向かいに立つ敦盛の供養塔
こちらは二代将軍 秀忠を弔うため建てられた
三重の塔(重要文化財)
来年の大河のヒロインお江の方の供養塔
(遺髪が入っているらしい)
どーんと案内板が出ていました。
春日の局が建てたそうです。
隣の真如堂に父のお墓参りに行きやすいよう
建てたのでは?とも言われています。
春日の局自身の供養塔もあります。
春日の局がお墓参りに通った、
東大路から金戒光明寺に至る道を
春日通りといいます。
このほか八橋検校の墓もあり、
その墓参りに行く人たちに出したお菓子が
琴を模った八橋だとも言われています。
撮影にもよく使われているし、
今年はブレークするかもしれませんね。
会津藩の悲劇に加え、
熊谷直実ゆかりの寺であることです。
熊谷直実は源氏の御家人でした。
一の谷の合戦で、平氏の武士を討ち取ろうとしたところ、
自分の息子と同じくらいの若武者だったため、
逃がしてやろうとします。
しかし、源氏の味方が背後にせまっており、
「自分が首を落として、供養しましょう」
と、泣く泣く首をとりました。
その後、その若武者は平敦盛と判明。
17歳だったといわれています。
敦盛は笛の名手で、昔の子供は唱歌で習いました。
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そして、その言葉に違わず、直実は法然上人の弟子となり、
ここで出家したのでした。
直実が鎧を脱いで、かけたといわれる
鎧かけの松(2代目)
御影堂
そして、直実と敦盛の供養塔が向かいあって
建っています。
直実堂の前に立つ直実の供養塔
その北向かいに立つ敦盛の供養塔
こちらは二代将軍 秀忠を弔うため建てられた
三重の塔(重要文化財)
来年の大河のヒロインお江の方の供養塔
(遺髪が入っているらしい)
どーんと案内板が出ていました。
春日の局が建てたそうです。
隣の真如堂に父のお墓参りに行きやすいよう
建てたのでは?とも言われています。
春日の局自身の供養塔もあります。
春日の局がお墓参りに通った、
東大路から金戒光明寺に至る道を
春日通りといいます。
このほか八橋検校の墓もあり、
その墓参りに行く人たちに出したお菓子が
琴を模った八橋だとも言われています。
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撮影にもよく使われているし、
今年はブレークするかもしれませんね。