大徳寺 | 烏丸ママのブログ

大徳寺

幼稚園の時、同じクラスのお母さんに住所を尋ねたら
「大徳寺
っておっしゃいました。
「え、あの中に人住んでいるんですか?」
生活感がないので、知りませんでしたが、
塔頭★たっちゅうにはご住職の一家がお住まいです。
★大寺院にある別坊
近道だから、しゃーっと自転車自転車で駆け抜けていったり、
何となくなじみのあるお寺です。
いつもは木陰からちらっとしか見えない
国宝 唐門クラッカー特別公開というので行って来ました!

もともとは大燈国師の草庵が、花園、後醍醐天皇の帰依を受け、
龍宝山 大徳寺となりました。
もともとは南禅寺とならぶ五山のひとつでしたが、
足利将軍家に嫌われて、排除されてしまいました。

応仁の乱で京の町は焼き尽くされ、大徳寺も焼失。
一休さんでおなじみの一休宗純が住持となり、復興されました。
また、千利休や、茶の湯好きの大名たちの帰依を受け、
隆盛を築きました。
今では21の塔頭があります。

大徳寺に菩提寺を持つことが、当時の大名のステータスだったのでしょうか。
大徳寺内の塔頭はたくさんの大名の創建だったり菩提寺となっています。
たとえば、
瑞峯院 大友宗麟
高桐院 細川忠興
黄梅院 小早川 隆景
興臨院 畠山義綱 前田利家再建
総見院 織田信長
など。。。

総門をくぐると、すぐ右手に勅旨門があります。
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見事な彫刻がほどこされています。
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そして、その北側に三門があります。
山門ともいいますが、三解脱門の省略なので、
三門がより正確でしょう。
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クリックしていただくと、クリアに見えます

金毛閣
と呼ばれる三門は、大徳寺最古の建造物。
応仁の乱で焼失後、連歌師宗長に」より1階を創建。
その後千利休により上層を作り、二階二層門となりました。
ところが叫び
この楼上に利休が自分の木像を設置したため、
「お前の下をくぐれということかむかっ
と、豊臣秀吉の逆鱗に触れ、切腹する原因になったといわれています。
利休が置きたがったというより、
功労者である利休に住職が勧めたらしいのですが。。。
内部は長谷川等伯の絵があり、重要文化財となっています。

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仏殿(重文)
唐様で1665年築。
その当時からあるというイブキの大木に隠れて
よく見えませんね汗

本坊まで行きつきませんでした。つづく