千峯雨霽露光冷 (大燈国師)
君看双眼色 不語似無愁 (白隠)
白隠禅師の「双眼」の主語(体)をどう捉えるかで
解釈が変わる。
その主語は千峯とみるのが妥当。
なぜ「双眼」なのかは私にはわからない。
色は、千峯(自然世界)の姿の事だろう。
大燈国師の一句は悟りの境地であり、
それを受けた白隠禅師の句は、
その静かに、かつ鋭く光を放つ山々の姿に
指月でしかない言語の無用を説く。
そこは問答無用のただある世界である。
空海の声字実相義(五大に皆響きあり)や、
蘇東坡のいわゆる「渓声山色」が、
自然の有情説法の一つの表現であるなら、
この二者の詩は、
自然の無我なる無情説法を
言葉にせんと試みた結果であろうか。
哲学とはある意味、言語表現の明晰判明さを
追求しつつ、そしてそれを楽しむような側面もあると思う。

