「神」には自我がないから、
自我特有のフォーカスポイントがない。
どこにもフォーカスしていない。
流れに滞りがない。つまり「時間」がない。
「自然」である。
存在のイデア(存在性)そのものだ。
それは逆に言えば
「すべてにフォーカスしている」とも言える。
それは、「無限定」という事である。
我々も我が落ち切った、覚醒的瞑想状態では、
そのような状態になれるかもしれない。
小我を排すれば、無限定の大我と一致するかもしれない。
ただ、我々はこの現実世界を生きているので、
独自のフォーカス(自我)を持って生きることは、
また、然るべきである。
その上で、ペルソナ(仮我)の仮面をいつでも
「フェイスオフ」できるようになれば、、
あなたもいつか観自在菩薩になれるかも?
観音菩薩の「千手千眼」は、
小我なく、ゆえに「無限定である心」のことを
指しているように思う。

