存在しているだけでいい | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

「どうせ私なんて…」

 

「卑屈」は、人間にとって最大の敵である。

魂を委縮させ、その人本来の生命活動を疎外する

一番厄介な性質である。

だから、これだけは、どうしても、

何とかしなければならない。 

 

そして、その卑屈さを引き起こしているのは、

自己肯定感の低さ。自分を否定する心である。

自分を価値の低いものだと思っている。

自分を小さく見積もってしまっている。

 

とかく「発達障害」などと名状されている

性質を持つ子は、過去に

「自分でも理由が分からない失敗経験」が多く、

自己肯定感が低くなる傾向が強い。

ワケが分からないから、自分を責めがち。

「ああ、私は、、できない、、ああ、ダメな私。」と。

 

だから、そういう傾向のある多くの人は、

本来ある健康的な自己肯定感

それを取り戻していきたい。

「自己肯定」なんてあえて言葉にする

必要もないくらいに!

 

 

「存在しているだけでいい。」

 

一言で言うならば、この、

「存在しているだけでいい。」

という感覚を、常識や、他者の視線に負けずに、

自分のものとしてほしい。

いや、もともとある自分に戻ってほしい。

 

「存在しているだけでいい。」

 

このブログでは散々書いているが、

この世界にもともと意味などないのである。

「あるものはある。」

それだけ。

あなたは既にこの縁起世界に存在している。

 

イミやカチはニンゲンが

勝手にこさえたもの(Man-made)だろう?

 

 

「存在しているだけでいい。」

 

一歩引いた視点で観れば、

地球と呼ばれる星で、ヒトとかいう生きものが

勝手にイミとかカチやらをこさえて、

勝手にやんややっているだけだろう?

 

宇宙からしたら、何の意味もなさない概念が

でかい顔してまかり通っている。

 

別に学校行かなくてもいいし、

働かなくてもいいし、

離婚してもいいし、

結婚しなくてもいいし、

不得意なことがあってもいいし、

よくわからん定義の「社会人」

にならなくてもいいのだ。

 

ただ、不自然なことは自然に、

自然の気のめぐりが滞るようになる、

それだけのことだろ。

 

 

「世界には存在の驚きだけがある。」

 

それだけである。

その「驚き」を、持ち前のセンスオブワンダーで

捕まえに行く。

それが我々に与えられた、いわば

人生という名のギフトであり、それだから、

持てる身体の機能を目いっぱい使って

人間という営みを堪能する。

それだけでよいのだ。

 

たまたま生れ落ちた世界の、人間がつくった

社会体制や常識に適応できなかったとしても、

何も問題ない。

あなたは適応できないことで、

社会システムの不自然さを、体を張って主張している、

それだけかもしれないのである。

「そういう役」をしている、とも言えるかもしれない?

むしろあなたが自然かもしれないよ?

 

 

この世界は「縁あって」回っている。

 

すべてはお互い、何かに拠って存在しており、

それ単独で存在できるものなど何もない。

 

あなたもまた、何かに拠って(縁あって)あり、

世界を回す機縁の一つである。

 

それだから、

あなたがあなたらしくあることは、

世界を回す、宇宙貢献につながる。

 

つまり、

あなたがあなたらしくないことは、

宇宙にとっての損失だ。

 

例えば

ミツバチは元気に飛び回ってもらわないと

みんな困るでしょう?

 

だからあなたは

どうぞ本来のあなたらしさを取り戻し、

あなたらしく、前に突き進んでもらいたい。

「存在しているだけでいい。」

通常、普通にある自己肯定感を

失ってしまった人は、何とか

ここにたどり着くようにしたい。

 

 

あるものはある。

あらぬものはらぬ。

 

あらぬものについて語ることなど、

できぬだろう?

無から有が生まれることは不可能で、

つまり、無が不可能なのだ。

 

不生不滅。

「生」も「滅」も何も、ただある。(縁あって)

それだけなのだ。

 

あるものはある。

あなたもただある。それだけだ。

 

 

すべては縁あって起こっている。

すべてはお互い、何かに拠ってある。

ゆえに自性はない。実在は、ない。

 

その相対的な世界において、

絶対的な安心感、

もし、それが得られるとするなら、、

それは、本来「自我」というものは無く、

そのペルソナである我を落とせば、、

「自分もこの大宇宙そのものである」、

という確かな疑いのない実感、、

その事だろうと思う。

それしかないと思う。

 

言い換えれば、

自身が全体性の中で育まれている、

恵みの中にある、という確かな実感、

そのことである。

全体性の中にある自分を確かに感じられれば、

他力の中で生かされている自分を思い知れば、

不足を感じる元の小我が滅せられれば、

恐れもなくなっていくのではないか。

 

すべては縁あって起こっている。

すべてに自性は無く、わたしもあなたも、

宇宙という大河の中の一滴に過ぎない。

 

しかし

その一滴はまた、大河(大我)を含んでいる。

 

諸法無我。

「自性はない」、ということは、

「すべてはこの宇宙の存在性そのものである」

ということである。

そっと目を閉じ、小我を閉じれば、

あなたはまた、宇宙そのものである。

 


目を閉じ、心を沈めれば、(我を消し去れば)

あなたもこの大宇宙と一つ。

この世界をしっかりと正しく見てとれれば、(正見正思)

それを思い知ることは可能である。(涅槃寂静)

 

あなたは存在しているだけで、

宇宙を回す機縁を担っているし、

大宇宙そのものである。