世界は君の情動記憶をかたどった(表象)ものである。
(情動記憶≒ブリーフシステム)
我々は主に、情動記憶という過去の慣性によって
描かれる軌道に乗って動いている。
動かしめられている。
「世界は悲しい」と思っていたら、
そこは悲しい世界。
受動的な人生。
世界は「悲しいもの」として映る。
それは他の人が楽しいと思っていることでさえ…。
世界は楽しいと思っていたら、
そこは楽しい世界。
能動的な人生。
やりたいことが見える!見つかる!
自ら動き出す世界。
ゆえに
ネガティブな記憶に侵されている人は、
何とか世界が楽しく見え、
自ら能動的に動ける世界に変えていく必要がある。
じゃないと
世界を「ネガティブにしか映せない」し、
「ネガティブな行動」が主になってしまう。
世界は悲しいと思っていると
世界は悲しく見え
「悲しいが出発点」の行動しかできない。
「つまらない」と思っていると
世界は、ことごとくつまらなく見え、
「つらないが出発点」の行動しかできない。
楽しい世界。
「ふふふ。あれいいな。これいいな。やってみよう!」
世界に明るさを見ている人は、
世界が希望的に見え、
希望ある行動をとるだろう。
君の持っている信念がフォーカスを変え、
行動の起点となる。
例えば
牢獄にいる二人の囚人。
一人はいつも床を見ていた。
一人は格子の外の星を見ていた。
この二人、同じ境遇でも
それぞれの世界でとらえるものと、
これからとる行動はまるで違うだろう。
だからなるべく
悲観的な人生はやめたほうがいい。
これは自分にも言いたいのだが、
被害者意識はやめたほうがいい。
楽観的な方が断然お得だ。
映画の
「ライフイズビューティフル」なんか
見るのもおすすめだなあ。
ただ、
つらく悲しい記憶を無理やり忘れろ!
っていうのは全然違うので注意。
悲しい自分は、、しょうがない。
つらい自分もしょうがない。
自分でよしよしして癒していこう。
過去の後悔も心の傷跡も、是非もなし。
しょうがない。
すべては起こりうること。
すべては縁あって起こっている。
何にしても
君はその時そうする必要があったのだろうから
後悔する必要はない。
わざわざ自分にとってベストじゃない行動を
とる人なんていないだろう。
その時君のとった行動はいつでも君のとって妥当だ。
その時の自分より情報量が多い、
今の自分が後出しジャンケンでアンフェアな
ジャッジをするのはやめにしよう。
実はいたずらに自分を責めたり、
後悔したりするのって、
相当傲慢なのかもしれないよ?
人間は神じゃないんだからさ。
都度完璧な行動なんてとれるわけがない。
しょーがないっしょ。
気を軽くして前へ進んでいこう。
仕方がないさ。
他者にならそう言えるだろう?
その言葉を自分にも遠慮なく適用するのだ。
実はそれが自分でもできる。
もちろん手伝ってもらえる人がいると有り難い。
みな、赤ちゃんの時は白地の無垢だったことを考えると、
そこから辿る人生の文脈によって
色々な可能性があるという事だ。
起こりえるという事。是非もなし。
そもそもこの世界にもともとの意味なんてない。
Man-madeの意味や価値は結局無視できると
考えておこう。
世界をポジティブに見れる要素を探す。
ネガティブばかりみないで。
自然世界を見れば明らかに、
明るい世界は広がっているだろう。
曇ったレンズをキュッと拭き取ると、
実は世界は恵みに溢れていると、
見えるときがいつか来るかも、、知れない。





