共時性という生命の存在(表現)形式 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

共時性。いわゆるシンクロニシティ。

これって実はシンプルに

生命の存在形式なんじゃないのか。という話。

 

自身の表現手段、

つまりこの縁起世界において、

その生命の表現手段(それぞれのLife)

として働くのが共時性。

 

その世界はその生命らしい体験が

すぐ具現化するのではなく、

時間差(プロセス)を経る、

いや、楽しむことができるとして、

そのプロセスを実現(体験)するため

マジックというか、タネというか、

仕掛けみたいなものが共時性なんじゃないのかな。

そしてそれはとどのつまり、

自身が持つ時空間(自身の存在形式)の性質の

一機能の事である、と。

我々は時間という形式で存在している。

 

「は?」

 

プロセスを楽しむための時間差の”じらし”

バレーで言うならば、時間差攻撃みたいなもんで、

速攻でAクイック打つんじゃなくて、

流してBクイックCクイックみたいな?

 

「は?」

 

余計わからんね。

取り合えず、時間というものをライナー(線的)に

過去→現在→未来というふうに捉えていると

ピンと来ないかもしれない。

世界は離散値であり、相対的であり、

表象者のエネルギー状態と認識するという

行為を機縁に起こる縁起の明滅(刹那滅)であると、

捉えられると、少し見えてくるかもしれない。

 

は?

 

その具現化が周囲との縁あって起こるというのが、

「プロセスを経る」というカラクリにもなっている!?

種が土の中で栄養と水分を得て、芽を出し、

光を浴びて成長するように。

 

 

 

 

これはわかりやすく言うための極端な例であるが。。

 

カメムシとかナメクジとか、あいつら

ワープしてんじゃないか、と本当に思う事がある。

 

「い、いつの間に?」

「ど、どうやって入ってきた?」

 

「カメムシワープ説」は前も書いた気がするが、

 

「めし食いテー!」

「くつろぎテー!」

 

とか思ったら、アイツら、

念力で時空間捻じ曲げてんじゃねーか。とさえ。

つまり、それがやつらの共時性。であると。

もしかして小さい虫なら可能なんじゃないかと…。

(あくまでわかりやい極端な例ね!)

 

しかし、時空間というものが生命の存在形式であれば、

それは可能である、と。

私は「私がやれること」についてはまさしく

時空の支配者である、と。

それが引き寄せの法則とか呼ばれてんじゃね?

 

 

「ふふ。オレはやりたい事はいつでもできるぜ。」

 

十分にエフィケイシャスな状態にあれば、

おのずと発動するのが共時性、

つまり砕いた言い方で言う

「引き寄せの法則」なんじゃないのか。

 

 

時間は他の主観とコミュニケーションをとるために

「待ち合わせ手段」として人間がこさえた概念で、

主観宇宙同士が同じ方向を向くための指標みたいなもの。

である、と。