自分じゃない他人の事なんてどうでもいい!?
You do your own business,
I do my own business,
It's all right.
そういうことでしょ。
無関心になれと言っているわけではない。
ヘルプが見えるときは気にかけてやればいい。
問題は「気」は「取られ」たり、「使う」ものじゃなくて、
自然と「配るもの」だという事だ。
人は他者に気を取られすぎているということ。
「何かがあれば幸せ…」
とか、自分の外にある何かに頼って幸福感を
得ようとするのは永遠の自己疎外。
幸福感とは自分は恵みの中にある、という
説明しなくてもいいような感覚があって、そして
「自分はいつでもやりたいことはやれる」、
とい想いにまったく抵抗がないことだ。
自分の外に幸福要因なんて必要ない。
幸福は手段ではなく、常に自己目的的。
そうして自分の世界をどんどん強めていくこと。
それがあえて言葉にするなら幸せということなのだろう。
愛する家族がいて、騒がしいながらも
いつも笑顔がある。
それもとても幸せな光景だろう。
しかし誰も誰かを幸せしてやることはできない。
自分を幸せにできるのは自分だけだ。
自分の幸不幸を、自分の外にある何かのせいにしているうちは
相対的な現象世界の事象に翻弄されるだけだろう。
(除く子供時)
「だって・・・」
それもわかる。よくわかる。
君がたどってきた人生の文脈で負った
嫌な感情の記憶は抜けきれないだろう。
言わばそれは心の傷跡だ。
しかしそれは
自分をよしよしして回復するしかない。
そして誤解も解いていこう。
何かがなければ君に価値がないなってことは決してない。
あるものはある。世界はただそれだけだ。
自然物と同様に、自分もただあるだけでいい、
という感覚を取り戻し、あとは自分らしくずんずん進んでいこう。
何かがなくても君には価値があるし、幸せになれる。
衣食住は足りているんでしょ?
君が人生で取ってきたすべて行為はすべて妥当だ。
与えらえた条件の中で、君は取れうる行動をしてきた。
等身大の自分で顔を上げて、胸を張って
自然世界とハイタッチして出かけよう。
恵みの大地に立っている自分を確信して、
持てる感覚と知恵を使って世界を満喫していく。
それでOKだ。
現象世界に自分を幸福にするものは何もない。
この世界の恵みを持てる五感を使って味わい、
知性を使って自分の世界を広める。
そして自分の世界を強めていく。
無条件な自己肯定感。
理由もなくできる気がしている。
さて、明日は何をしようかな?
日本特有の「謙譲の美徳」なんていらない。
自分の気持ちに忠実に、やってみたいことをやるだけさ。




