世界は私の表象(Re-presantation)である。
しかしその個人の表象世界に、
どうやって他の主観が存在しているのか、
私はなぜ他の存在を巻き込んだ世界を
表象可能なのかと考えると、、、
実は我々は既に、
全宇宙のイデア(原型)を分有(分け持っている)している、
と考えると話が早い。
だからこそ私たちは全宇宙を表象できる。
さらに言えば、私たちは言わば世界霊魂を分有しており、
本来的には一つなのだ。
みな心は宇宙と相似形で、精神的足場を共有している。
だからこそ思いを同じく(com-passion)することができる。
「ふぁ?」
…急に宗教的な話になったと思うかもしれないが、
私たちは自分の中にないものは
決して諸物として抽出することはできないのだ。
また(表象)世界は認識者と諸物との「関係」であり、
故に私に無関係なものは私の世界に現れようがない。
私たちは精神的な足場を同じくしており、
言わば世界霊魂を分有しているのだから、
貴方の世界と私の世界は同時に存在しえ、
お互いに表象することができる。
仏教的に考えても、
すべては縁あってある縁起(関係)世界に住んでいる我々は、
相対的な存在であり、自我の視点が消えれば
本来的に一つの体感に帰郷するのだ。
故に音なき音を観ずる(com-passion)ことができる。
なぜお互いにコミュニケーションがとれるかというと、
みんなこの全宇宙と相似形で、
みな宇宙の成分を有していて、宇宙の表現の仕方が同じだから。
客観を設定することができるのだ。
存在物同士が情報を共有できる世界が私たちの背後にあり、
私たちを包含している、と言ってもいい。
実在論的な、物質的延長の世界を基盤にした発想は
実世界を知る上では幅が狭い。
私たちは可能無限の世界に住む、可能存在であるくらい
大きく出て自分を見つめ直そう。
この美しい自然世界を表現しているあなたは
明らかにその美しい自然世界を内に有しているのだ。


