相対的な存在のなのに自分だけで
いっちょ前だと思っていた自分。
「俺は俺の力で生きている!」
「人間はこの自然の征服者だ。ひかえおろう。」
とかさあ。
こういうのって、自分が絶対的な存在ではなく、
相対的な存在だ、と当然のごとく分かってくると
恥ずかしくなってくる。なってきた。
すべては縁あって起こっているのであって
絶対的に存在しているもなんて何もない。
当然自分も。
私は、生命は、「世界の世話になって」
はじめて存在している相対的な存在である。
なのに私はずっと
「俺は俺だけでいっちょ前だ」と思っていたよ。
「この大宇宙を思えば、生命はその
大河の一滴に過ぎないが、
その一滴は大河を含んでいる」、、という
宇宙と一体とした感覚はいいと思う。
言わば自分は「神と共にある」というね。
しかし
「俺は俺独力で存在している!」
人間は自然の征服者!みたいに
増上慢になるのはおかしな話である。
この世界の有り様をことごとく知れば知るほど。
すべては縁あって起こっている。
自分も数多の縁あっての存在なのにさあ。
「俺は俺独力で生きている!」
なんて思っていたのはおかしな話だ。
世界の在り様を思い知っている人は
おのずと謙虚になるのだろうと思う。
そしてこれがすべてに言えるとしたら、
威張ってもしょうがない。
結局、持ちつ持たれつ。お互い様だろう。
すべてが関係的に存在していることは確かなのだから。
そして同時にこれは、勝手に感じていた
世界からの孤立感という誤解を解くことにもなるだろう。
若い時は他と競って秀でたときの
自分を誇っていた、いや、安心していた?
そんな時期があったと思うけど、
そんなんもいらないよね。
比較するならまあ、昨日の自分だけでいいんだわ。
そもそも己は、世界の世話になりまくって存在している存在だし。
すべては「自然という大循環の一機能なわけ」だ。
すべては自然という世界の産物なわけだ。




