自己の明晰判明さを求めて行為する | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

我々は自己の明晰判明さを求めて行為する。

それは世界が「未知なる自世界」だからだ。

奇妙な表現であるが。

 

認識者⇔実在X

    (世界)

 

世界とは認識者と実在との関係においてはじめてある。

自分の中にないものは決して諸物として抽出できない。

つまり世界は、自分の中にあるものを

投影したもの(自分による限定)であるのだ。

 

宇宙を体感している我々はつまり、

宇宙の全イデアを内に有しているから、

宇宙を抽出、投影できている。

 

伝統的な哲学の真理とは、認識と対象の一致

であるが、このスッキリしない認識と対象とを分ける

構造をやめて、世界を自分の中にあるものの投影

と考えると、真理とは「自身の隠蔽性の解放」

ということになる。

 

しかし我々は自世界について、

なぜか、それが内部投影であるにもかかわらず、

それを知らないまま生を投げ出されている。

 

だから隠蔽性の解放という奇妙な表現になる。

 

自世界の明晰判明さ、

つまり自分自身の隠蔽性の解放が一つのベクトルとなり、

我々は行為を促されている。

 

 

「ニャンコのかわいさは、君の中のかわいさの象徴なのさ。」