認識が世界 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 

我々は五感という知覚のフィルターを通して

世界を投影している。

例えば視覚から入ってくる光の情報は、網膜で受容され、

いったん後頭葉に送られ、そこで形や色などが細かに

別々に分析処理され、それらの細かなたくさんの情報が

前頭葉において「合成」され、

そこでまとまったヴィジョンとして現出されている。

 

また、その五感の「感覚世界」は、

「自我の独自の価値感」により、

意味の重みづけがなされ、

「抽出される世界」は自我により異なる。

 

こう見るとつまり、結局、

世界は自我そのものであると言えよう。

実在があろうとなかろうと、我々にとっては

抽出され、合成され、認識される世界が

世界である。

「認識が世界」なのである。

それは、極端に言えば、

「実は自分の外にあるもの(実在)がスッカスカでも問題ない」

というのが実情である言える。

世界は個物にとっての脳内世界モデルであり、

相対的なのである。

 

問題はその世界抽出の基である自我の価値「感」が、

生まれ落ちた世界の世界精神や、

社会洗脳などによって築かれたもので、

実は本人にとって本当に楽な

「世界抽出の視座」ではないという事である。

 

投げ出された世界で押し付けられた価値感を

相対化し、自ら、また言葉の世界を超えて

この空なる世界の起こる縁起性を

ただただ照見する視点を得る。

それは観自在という彼岸であろう。

 

 

 

君の瞳に私はどう映っているのかな?