恐怖や不安といった感情は、
脳が「心身の安定保持」のために、
論理以前に利用する
「強い連絡手段」だと考えればいい。
脳が海馬(記憶)と偏桃体(情緒)の
コンビネーションプレイを用いて、
「何かしらの危機」を知らせているわけですが、
実際それが「今」ではない、
「過去」の事例に類推されることでも反応するので、
過剰なこともありえます。
脳(無意識)には「今しかない」のかもしれない。
いいや、実は実際に「今しかない」のだ。
だから、今ではない、「観念的」な
恐怖や不安に煽られたなら、
「おっと、今ではないのにまた脳が発火しているな。」
「荒木(海馬)と井端(偏桃体)がまたゲッツー取りに行ってるな。」
と冷静に分析するといいと思います。
恐怖は実際に目の前にクマが出てきたときとか、
そういう時に
「タイムリーに甘受すればいい」だけであって、
観念的な恐怖や不安に対しては、
それは「今に無い」ことを自覚して、
スルーする癖をつけていこう。
どんな状態に置かれていようと、
今の自分の状態に安心すること。
物事はただ起こっているだけで、
自我がそれを問題だと思っているだけ。
世界には林檎の木があって、
りんごの実がなっている。
私はそれを口にすることができる。
水がある。緑がある。
空気がある。猫がいる。カブトムシがいる。
これらは贈り物だ。
「あるものはある。あらぬものはらぬ。」
この世界には存在の驚きだけがあり、
私たちは恵みの世界にいる。
我々はすでに恵みの世界にあるのだ。
事はただ起こっているだけで、
じつは問題は何も起こってはいない。
それを問題だと思う心だけがある。
誤解が解けて疑いの雲も晴れたなら、
我々はただ、恵みの世界が広がっていることに
気づくのだろう。歓喜とともに。
不安や恐怖といった心にかかる霧は
そこに一時的に滞留しているだけだ。
すでに恵みの世界にいる、
今の自分の状態にいつも安心するようにしよう。
「何か不安になったら、私がいる世界を思い出してね。」


