正法眼蔵 現成公案
12. たき木、はひとなる。
さらにかへりてたき木となるべきにあらず。
しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。
しるべし、薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり。
前後ありといへども、前後際断せり。
灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。
☆私個人のメモ
我々は通常、「薪が燃えたあと」を見て
「薪が灰となった」と「考える」が、それは違う。
「薪→灰」という時間の連続で
この物質が変化しているわけではない。
世界は離散的で、五蘊仮和合。
世界は都度、瞬間瞬間、
縁起の集合体の結実によって、明滅している。
その縁起の集合に「認識者である私」も
参加していると考える。
むしろ時空間は認識者の領分。
「薪」という名状、役どころは人間の都合で
こさえられたラベルであり、宇宙に法における
この存在物の法(縁起)とは無関係である。
前後裁断。純粋直線。
世界は離散的で、都度縁あって起こる明滅であり、
それをつなぎ合わせてみる私(認識者)がいる。
薪が灰の前であるとか、灰が後ろであるとかは、
人間が作った概念上の都合でしかない。
我々は「自我のバイアス」を除いて、
世界をそのままにとらえることはできるだろうか。
13. かのたき木、はひとなりぬるのち、
さらに薪とならざるがごとく、
人のしぬるのち、さらに生とならず。
しかあるを、生の死になるといはざるは、
仏法のさだまれるならひなり。
このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、
法輪のさだまれる仏転なり。このゆゑに不滅といふ。
☆私個人のメモ
不生不滅。
諸行無常諸法無我。
我々はお互いに拠って存在している
縁起世界の合成物であるから、
もともと実在ではない。
相対的な構成物である。
そのもともと実在しないものが
生まれるとか、滅するとか
いうのはおかしいのである。
世界は、現成をどう観るか、
その視点を置く視座により全く変わる。
14. 生も一時のくらゐなり。
死も一時のくらゐなり。
たとへば、冬と春のごとし。
冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。
☆私個人のメモ
すべては縁あって起こる、一つの状態であり、
それそのものが実在としてあるわけではない。
例えば季節、春が夏になるわけではないように、
冬が春になるわけではないように、
その季節はその状態がただあるだけであり、
春という実体があり、それが他の実体に変わったという
わけではないのである。
自分が想像もしえないような、
縁起の集合体としての結実が、
自分が見ている現成の背後に、
想像を絶するような縁起の集合が、
働いているかもしれない、ということを想像してみよう。
