充足理由律。
昔それなりに考えたのだが、
単に当たり前のことを言っているようで、
何が問題なのかよくわからなかった。
単に当たり前のことを言っているようで、
何が問題なのかよくわからなかった。
「あれだろ…。哲学者が何でもない事柄をさも
難しい問題のようにありがたがってる、あれだ。。」
難しい問題のようにありがたがってる、あれだ。。」
と、「あのぶどうは酸っぱい」的に放っぽって
気にしないことにしていたのだが。
気にしないことにしていたのだが。
最近、物事を因果関係で捉えようとするのは、
時間という形式で存在している人間の性(さが)のような
気もしてきた。
時間という形式で存在している人間の性(さが)のような
気もしてきた。
人は、人間の認識の型に当てはめて、
世界を把握しているわけだから、と。
世界を把握しているわけだから、と。
「クオリアと幻肢痛」というトピックで一考してみた
のだが、幻肢痛も、過去想起による喜怒哀楽も、
同じようなもんなんじゃないか、という考えが浮かぶ。
のだが、幻肢痛も、過去想起による喜怒哀楽も、
同じようなもんなんじゃないか、という考えが浮かぶ。
時間があるってのが幻想で、今この瞬間以外は
妄想であるならば、過去想起や、未来想定による
喜怒哀楽は、それもファントムペイン、ファントムジョイ
なわけである。
妄想であるならば、過去想起や、未来想定による
喜怒哀楽は、それもファントムペイン、ファントムジョイ
なわけである。
まあ、肉体維持のために蓄えた「危険インデックス」から
危機を知らせる機能は、生きていくうえで適応的で、
あってしかるべきなわけだが。
危機を知らせる機能は、生きていくうえで適応的で、
あってしかるべきなわけだが。
存在形式をメタ的に眺めるのは骨が折れる。
我々は常に既に、すべてを知りえている(捉えている)
という方法でしか、存在していないのではないか、
という問い。
我々は常に既に、すべてを知りえている(捉えている)
という方法でしか、存在していないのではないか、
という問い。
我々は何かを知った時、「わかった」と
過去形を使うわけだが、表面意識の働く範囲は、
意外と、というかだいぶだいぶ小さいのではないか、と。
過去形を使うわけだが、表面意識の働く範囲は、
意外と、というかだいぶだいぶ小さいのではないか、と。
ほとんど他力。
存在している上で、ほとんどのことは既に与えられている。
(その上にペルソナが乗る)
存在している上で、ほとんどのことは既に与えられている。
(その上にペルソナが乗る)
…と、言葉上でいうのは簡単だが、
絶対他力の状態まで、それを確信するには覚悟もいる。
我々はほとんど受動的に生きているのに、
一人前の顔をしている。諸法無我に違いないのに。
絶対他力の状態まで、それを確信するには覚悟もいる。
我々はほとんど受動的に生きているのに、
一人前の顔をしている。諸法無我に違いないのに。
絶対他力。
単純な念仏思想を昔は舐めていたのだが、
やはり親鸞・法然上人はすごいと思うわ。
この思想は初級から上級まで間口が広い。
(その分偏重もされやすい)
単純な念仏思想を昔は舐めていたのだが、
やはり親鸞・法然上人はすごいと思うわ。
この思想は初級から上級まで間口が広い。
(その分偏重もされやすい)
覚悟は悟りなのか。
私にはお二人が他力の海へ断崖から
ダイブしているようにさえ見える。
私にはね。
当然、確信の度合い(覚悟)が天地ほど違うわけだが。
私にはお二人が他力の海へ断崖から
ダイブしているようにさえ見える。
私にはね。
当然、確信の度合い(覚悟)が天地ほど違うわけだが。
上人たちにとっての永遠の汝は阿弥陀仏。
ルターにとってのそれは恵みの神。(恩寵義認)
ルターにとってのそれは恵みの神。(恩寵義認)
私にとってのそれは、ルターからヒントを得て、
やっぱり自然世界かな。
もっと地球に親密さを感じて、寄り添う心持ちを
得られれば、完璧な宇宙を感じられるかもしれない。
やっぱり自然世界かな。
もっと地球に親密さを感じて、寄り添う心持ちを
得られれば、完璧な宇宙を感じられるかもしれない。