「愛する」
という動詞は、能動的であり、受動的であるのかもしれない。
つまり、何かを愛しているとき、同時に愛されている、と。
つまり、何かを愛しているとき、同時に愛されている、と。
理屈っぽく言うと、自己目的的ってことだけど、
つまり、同時に心安らいだ気持ちを受けているということ。
ただ、心安らいだ気持ちの中にあるということ。
つまり、同時に心安らいだ気持ちを受けているということ。
ただ、心安らいだ気持ちの中にあるということ。
”Be in Love”
なんて言うわけだけど、地球の愛に同調して、
地球の愛の中の、穏やかな安らいだ心の場の中にあれば、
自己目的的で、無時間的な、仮我が消滅した、愛の中にある
自然な現象としての私が、生起され流れるのかもしれない。
地球の愛の中の、穏やかな安らいだ心の場の中にあれば、
自己目的的で、無時間的な、仮我が消滅した、愛の中にある
自然な現象としての私が、生起され流れるのかもしれない。
「ただただ神の愛の中にある私」
それを実感し続けられれば常にハッピーだが、
現状の世界で生きるにはそうはいかない。
いつもの現実が待っている。
現状の世界で生きるにはそうはいかない。
いつもの現実が待っている。
坊さんになって自然の愛に囲まれたお寺で暮らすのは、
至福ではあるが、そこが「十牛図」で言う8段階目(○)である
ことからわかるように、
実社会の中でもその心を失わずに、光り続けることが心の王者なる
悟りたる10段階目というわけである。
至福ではあるが、そこが「十牛図」で言う8段階目(○)である
ことからわかるように、
実社会の中でもその心を失わずに、光り続けることが心の王者なる
悟りたる10段階目というわけである。
現状の世界で、ずっと愛の中にあり続けるのは
ほぼ無理なので、定期的に瞑想したり、
自然に会いに行ったり、神社に行ったり、
愛の中に帰る習慣…というよりも
「この世に自分を守り生きていく戦略」を立てて、
実践することが望ましい。
ほぼ無理なので、定期的に瞑想したり、
自然に会いに行ったり、神社に行ったり、
愛の中に帰る習慣…というよりも
「この世に自分を守り生きていく戦略」を立てて、
実践することが望ましい。