世界との信頼関係を取り戻す | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 
「世界との信頼関係」を取り戻す

 

それは「大悟」であるのだろう、と。
そんな気がしてきた。

 

 

その大きなヒントになったのが、
最近縁あって触れた
ルターの恵みの神学と、
法然や親鸞の絶対他力の思想だ。
(両者は驚くほど共通点がある)

 

 

「あなたはそのままですでに救われている」

 

 

というのが、ルターの「恵みの神学」。
自信と信頼がそこから生まれる。
その感覚が自由の翼となる。
(それは分離している感覚からのre-ligion「再結」だ)

 

 

ルターの宗教的回心は、それまで
裁きの神」としてしか見れなかった神が、
恵みの神」として、捉えられるようになったのが
きっかけである。
(いわゆる「塔の体験」)

 

 

それまでルターにとって神とは、
自身の厳しい父の姿も無意識に重なり、
「自分を厳しく罰する存在」にしか見えなかった。

 

 

神の義(正しさ)という言葉は、相対的に
自分の罪深さを浮き上がらせる厳しい概念に
しか思えず、時にこの「神の義」を恨みさえ
覚えたほどである。
彼は神の前に萎縮していた。

 

 

故にか、ルターは模範的にも模範的な
真面目な修道生であった。
罪深い自分は
「規則正しく生活しなくてはならない」
という思いが強かったのかもしれない。

 

 

しかしある事件をきっかけに身を隠していた、
とある塔で、一人孤独に思索を続ける中、
ヨハネの聖書の句、

 

 

神の義は福音の中に啓示される。

 

 

という句に出合う。
そしてその句の吟味の中で見出した、
それまでの「厳しい神の義」ではない、
恵みの神」の姿に激震(回心)し、
大きく思想を転換するに至った。
それが「恵みの神学」の原点。

 

 

ルターがどう思ったか知らないが
私の古典的なキリスト教のイメージには、

 

 

「人間は不完全で原罪を背負った
罪深い存在で、贅沢は敵で、
守らなきゃいけない戒律があって…」

 

 

みたいな、あんまり健康的じゃないイメージがある。
「恵みの神」という側面は、
キリスト者でも見出し難かったのかもしれない。

 

 

あなたはそのままですでに救われている

 

 

それまで自分を、「裁きを下される罪びと」
として見る傾向が強かったルターにとってそれは、
まさに人生の大回転で、
人の生に光明を見た瞬間でもあっただろう。
それからのルターの活躍は周知のとおりである。

 

 

「生きているだけで丸儲け。
あなたはすでに、数多の恵みによって助けられている。
謙虚の振り返れば、そうではないか?
あなたはすでに自然世界から
多くのプレゼントを受け取っているのだ。
その恵みを信頼し、自信を持ち、
故に得るその自由の翼で、世界に羽ばたけばいいのだ。」

 

 

↑そんなヒントを、
私はルターの思想をきっかけにいただいた。

 

 

 

これはルターの話ではないが、
実は人が一番欲しているのは、

 

「母親のような存在の大きな腕の中に抱かれ、

守られている安らいだ感覚」

 

だという。
なるほど、その感覚があれば

「何があっても大丈夫」だと
思わないだろうか?世界との信頼関係がある。
その感覚は世界から分離していた個が、
世界とガッチリ繋がっている感覚とも
言えるかもしれない。
この素晴らしく美しい自然世界と。

 

 

re-ligionの原義は「再結」で、
これは「神のと再結」を意味するが、
ルターの、恵みの神との出会いはまさにそれで、
世界との信頼関係を取り戻した
瞬間だったのではないだろうか。

 

 

ルターが得た感覚は私たちも得ることができるはず。
我々も天からプレゼントされている
数多の恵みに気がついて、
世界との信頼関係を取り戻そう。

 

 

私たちには自由の翼があるのだ。

 

 

 

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