マルティン・ルター 恵みと救い | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

  ~ The Moon is always with us ~

ついさっきの話。

うちの爺さんがラジオが壊れたとか言って、
でかいラジカセでラジオを聴いている。

「どうせ電池が切れているだけだろ?」

と思い、2つある携帯ラジオの電池の交換に取り掛かってみた。
「直してやんよ」と。

一つ目の携帯ラジオの電池を交換すると、
ものすごいでかい音が鳴り響く。ミニマムなのに。うるさい。
「これじゃ使えん」と思い、もう一つのラジオのの方を
試しにつけてみると、、電池を交換しなくても聞こえる。

「なんだ使えるじゃないかー。」

と思った瞬間、ラジオから聞こえてきたのは…、

「ルターは恵みと救いについて…」

ドキューン!

来ました。ドッキリシンクロ。

普通の人には単に重たいキリスト教の教義しか聞こえなくて、
すぐにチャンネルを変えそうなテーマですが、、
これはつい最近私がブログで書いたテーマの、ざっくり言えば、
「地球の恩寵と自我の消滅」みたいな感じの、ルターによる論説で、
私が目下興味があるテーマである。
なんか「リアルに波長が合った」感じで驚いた。キタよこれ。

私は壊れたラジオのことなどどうでもよくなって、
ラジオを耳に当てて聞き入った。

なるほど。ルターによると、神は隠れたる神で、数多の恵み、
その恩寵によってのみ、伺い知りえる存在であり、決して姿を見せない。
しかしその恩寵により、あなたは、自由であることを知る。
あなたが自由な感じを得ているのは、数多の恵み、包み込む環境に依るのだ。
それに気づいたあなたは、人類の運命を請け負ったキリストと共に、
ひとりのキリスト者として、神が知れず恩寵を与えるように、
他者に対して優しい行動を自然にとる人物になるのだ。

…といった内容。たぶん。
(直感で書いてます。クリスチャンの方、間違ってたらごめんなさい。)

倫理の本で学んだマルティン・ルターの印象は、激情的な、
ハートフルな印象で、一心一途な信念の人という印象。
私も激情的、、(というか、論理的思考があまり得意ではない)なので
まっすぐな印象で好意が持てる人物という印象であった。

一つ、小我から脱却するヒントとして、やはり思うのは、
自然世界から自分が受けている数多の恵み、その恩寵のを知ることによって、
小我を捨て、離れ、世界を信頼し、無為自然に生きることの一つの契機に
なりうるうのであろうということ。

この文も前提とかは立てず、なるべくひたすら記述する感じで書いてます。
(それは分裂だからね)

__

追記

何の番組だったのか、調べました。
私が聴いたのはギリギリ最後のあたり。


カルチャーラジオ 歴史再発見「ルターと宗教改革500年」(6)

【恵みの神学~ルターの思想(1)】 ルーテル学院大学教授…江口再起
ルターは1521年、ヴォルムス国会で「われ、ここに立つ」と述べました。
「ここ」とは「神の前」そして「人の前」です。
ルター神学の「信仰義認」とは、人は信仰(のみ)によって
神に義と認められ救われるというものです。
神からの贈り物としての救いにより人はその恵みを受けとめることができると考えました。
「神の前」で救われ自由となった人間は他者のために愛の奉仕に力を尽くす生き方をする、
これがルターの人間論です。

ルーテル学院大学教授…江口再起