善行者無轍迹。
善言者無瑕適。
善数者不用籌策。
善く行く者は轍迹(てつせき)なし。
善く言う者は瑕適(かてき)なし。
善く数うる者は籌策(ちゅうさく)を用いず。
善く言う者は瑕適(かてき)なし。
善く数うる者は籌策(ちゅうさく)を用いず。
善く行く者は行動するにしても動いた跡を残さない。
善く言う者は発言するにしても乗ずるスキを与えない。
善く数うる者は計算するにしてもソロバンを必要としない。
善く言う者は発言するにしても乗ずるスキを与えない。
善く数うる者は計算するにしてもソロバンを必要としない。
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出典は老子。
善く行く者は轍迹(てつせき)なし。
轍迹というのは形跡のこと。足跡とか轍(わだち)とか。
後に続く二行は覚えていないのだが、
この一行目は好きでずっと覚えていた。
後に続く二行は覚えていないのだが、
この一行目は好きでずっと覚えていた。
しかし意味はずっと違う風に捉えていて、
着実に、地道に人生を歩んでいる人の、
善き人の人生の足跡というものは目立たないものなのだ、
という風に勝手に解釈してた。
着実に、地道に人生を歩んでいる人の、
善き人の人生の足跡というものは目立たないものなのだ、
という風に勝手に解釈してた。
老子の言う善者とは「道」の体現者のことなのだろうから、
仙人とか導師のような賢者のことなのだろう。
仙人とか導師のような賢者のことなのだろう。
しかし人間のコミュニティを支えているのは地道に、
「真面目に働いてくれている善き人たち」なのだから、
私は勝手な自己流の解釈も気に入っていて、
違っているとしても勝手に好きな言葉なのである。
「真面目に働いてくれている善き人たち」なのだから、
私は勝手な自己流の解釈も気に入っていて、
違っているとしても勝手に好きな言葉なのである。
善く行く者に轍せきなし。
ジミでいいじゃないか。
