幸福感覚の達人 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

「明けましておめでとう。」

 

という言葉の中には、

 

 

「こうしてお互いまた、
健康に新しい年を迎えることができてよかったね。」

 

 

という意味が込められている。
しかし最近ではやや形式的な
あいさつになってきているようである。(私もまた)

 

 

昔は今よりも生きるのが困難だった。
食べ物も豊富ではなかった。医療も発達していなかった。
病や死は今よりも近いところにあった。
何事もなく新年を迎えられるということは、
本当に喜ばしいことだったのだろう。だから、

 

 

「おめでとう。」
「ありがとう。」

 

 

という言葉の交流の中にはたぶん、
もっと深みがあったのだろう。

 

 

幸福感覚は所詮相対的なもの、つまり
その人が幸せだと思えば幸せという、気の持ち方一つで変わる
ようなものである。
危機的な状況にあるほど、ものの在り難さ、本質的なものが
見えてくる、というよりも見えざるを得なくなるわけだけれども、
たとえ危機的な状況に置かれていなくとも、
ものの真の価値を見極めることのできる人格を
築きたいところである。
それはちょっとしたことにも喜びを見出せる
幸福感覚の達人でもあるのだろう。

 

 

ともすればダラダラと惰性の川の流れに流される自分。
その自分の心に楔を打ち込む。流されるのではなく、
流れに乗り、自ら軌道を取る。
自ら足がかりをつくり、前に進む。
たぶん正月イベントはそのためにもうけられたイベントだろう。
先人の知恵。
人間は習慣の生き物。
よい習慣がよい自分をつくるわけだ。

 

 

お祭りなどのイベントは、ユング風に言えば、
民族精神のエネルギーの流れを調整する為にあるということ。
(たしか)
単なる形式的な儀式ではないのだ。

 

 

さて、現代のニッポンの精神エネルギーは
行き場を求めて彷徨っているかのようである。
その行き場を失ってモヤモヤしているかのようである。