出会いが命を運ぶ | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

 
「運命とは、
既に生まれてしまっているということである」

 

昔、松本清張の「砂の器」のドラマのCMで
こんな台詞が使われていました。
それだ!と思いました。そうなんだ。それなんだよと。
砂の器は見たことも読んだこともないのですが。

 

 

私は自分の心臓に動いてくれと頼んだ覚えはない。
なのに私は生きている。
少なくとも、眠っているときは私の意志は働いていない。(と思う)
なのに生きてしまっている。
既に存在してしまっている。何だこれは。
これはよく考えると奇跡的だ。
驚くべきことだ。
まさしく「存在の驚き」。

 

 

<じ、実は、オレは既に存在していたとか?>

 

 

なんて、思ったりもしてしまう。

 

 

__

 

 

 

運命とは何か。
考えざるを得ない人もいるはず。

 

 

 

「なぜ私はこんな・・・」

 

 

他人から見たら特には気に留めない事も、
リアルにリアルな人生を体験している
当の本人にとっては真剣な問い。
世界を呪いたくなる人もいるだろう。

 

 

「なぜ生きなければならないのだろう」

 

 

と、生きる理由について、自分と世界との関係について、
頭だけではなく、苦という体験を伴い
身体全体で真剣に考えたことのある人も、
考えざるを得ないかもしれない。

 

 

個人的に、人生の意味というものは本人が自分で、
独力で見い出す、
意味づけしなければならないものだと考えている。
意味づけしてしまっていい。意味づけしなければならない。
本人が本心から納得できなければならない。
これでいいんだと。
でなければ、一生自分を肯定できずに、
愛せずに、どこか満たされない
人生を送ることになるのだろう。
あるときからこれは人間が誰もが抱える
一つの宿題のように思えてきた。

 

 

本人がこれでいい、と心から納得できればそれでいい。
他人がどうこう言う問題ではない。
解釈は認識者の数だけある。
なのに自分自身の人生の結論ですら自分で出さないでどうする。

 

 

___

 

 

しかしながら、運命とは何か、という問いにおいて、
客観的な意味として、
一応、一つの答えにたどり着くことができている。
今のところこれが一番としっくりと来ている。

 

 

それは「出会いが運命」であるということ。

 

 

出会いが命を運ぶ。

 

 

人は、他者との係わり合いにおいて刺激を受け、
生へと促されるように思う。
積極的な生きる理由も、他者との関係において生まれるように思う。
やはり、人間は人の間で生きるものだ。

 

 

願わくば、縁あって出会う人に
何かよい影響を与えている登場人物でありたいものです。