世界の相対性 | ☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

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  ~ The Moon is always with us ~

23、4歳くらいのときだったか。
会社の隅っこで雑用をこなしていたときのこと。
ふと急に、

 

「うお!時間って何だ?空間て何だよおい!」

 

 

という疑問に襲われました。「襲われた」という感じです。

 

 

ブツリは全く興味がなく、
哲学のての字も知らなかった頃。(・・・今もようわかりませんが)
そもそも学問というものに興味がなかった頃。
何で急にそんなことを考え出したのか分からない。
急にスイッチが入ったかのようです。

 

 

(今考えるとこのときあたりから、
無学な自分にもようやく知の扉が開かれはじめたような気がします。)

 

 

仕事中にもかかわらず、
辞書で「時間」や「空間」の意味を色々引いてみたり、
ネットであれこれと検索してみたりしました。
今そのときの感覚を思い出すのは難しい。
そのとき自分なりに一週間くらい考えて思ったのは、

 

 

「世界は個々の脳みその処理能力に依存するのでは?」

 

 

という、素朴なものでした。

 

 

それから天文学や、相対性理論の入門書を読んだりしました。
読書なんてそれまでマンガ以外ほとんどしたことがなかったのに、
休日夢中で読んだ気がします。
何だかわけのわからない自分の世界が
見事に秩序づけられていく感覚が楽しかった。

 

 

しかし観測者により空間が縮むという理屈が、
絶対時空間を当然のこととして、
それ以外ありえないと思っていた当時の自分には
理解できなかった。よく分からなかった。

 

 

しかし、のちにカントの基本的な認識論、
いわゆる認識のコペルニクス的転回、
つまり「対象が我々の認識を規定するのではなく、
むしろ我々の認識(主観)が対象を規定する」
ということを、カント倫理をベースに理解しはじめたとき、
理屈で分からなかった相対性理論も感覚として
「あ!」と分かった気がしました。

 

 

このとき自分の思考を助けてくれたのは、
子供の頃体験したいわゆる「スローモーション現象」。

 

 

それは少年の私が乗っていたボートが転覆し、
海に投げ出される際に起こりました。

 

 

ボートが転覆して私が海に投げ出されたのは
「一瞬」だったはずです。
しかしながらなぜか私にはそのとき色々と
「考える時間」がありました。

 

 

「ああ、どうしようこんなところで転覆して・・・。」

 

 

「誰か助けに来てくれるのだろうか。」

 

 

「でも、ちょうど近くに小さな島があるからそこに行けば・・・」

 

 

「服が濡れるな・・・」

 

 

などなど。
そもそも私は軽い色弱なので、
幸か不幸か認識論については取っ掛かりやすかったのですが。

 

 

厳密には、私の認識している世界と
あなたの認識している世界は違う。
同じ人間だから、主観の処理能力が大体一緒だから、
客観が設定可能だというだけで、
はじめから絶対的な世界があるわけではないのだ。
(あったとしてもそれは確認できない)

 

 

 

今考えれば普通のことと思うのだけれども、
当時の自分は全く分からず、
というかまず「興味を持つ」という出発点にすら立っていなかった。