PCのハードディスクが壊れてしまった。
困ったね。
よーやく予備のPCにてキーをたたく。
しばらくブログを書かずに思ったことは
自分はやっぱ定期的に書く作業をしないと
いかんなということ。
アイディアとの遭遇は「虫取り」に似ている
とある先生が言っていたが、そう、
その都度捕まえないとね。振り返った瞬間、
トンボなんてもういないもんね。
書こうと思っていた記事は幻肢とクオリアの
問題とか、
我々はすでに常に、すべてを知っているという
前提でしか、主観という世界モデルを
展開できていないんじゃないかという、こととか。
隻手の音声は、ノンデュアリティのいい例えになるな、
とか。
自我の消滅を瞬間体験させるいいヒントになる。
この世界で生きる原動力は、取り合えず
肉体の維持と、性欲などの欲求だけど、
その上に乗っかるペルソナの維持は、
やはり、過去の自分にまつわる拘りの情報、
手っ取り早く言えば業とか、カルマという話になる。
結局自業自得の世界なのか。
親鸞は髪の毛の先まで、自らの業に拠らないものはない
と言った。
世界への識別、判断は、ペルソナが持つ世界への重要性
に依存するから、そういうことになるのかな。
世界は自らの業であると、諦念して、覚悟を決めて
受け入れ、自己肯定して生きていく。
それが運命愛かもしれない。ご自愛くださいな。
業に拠る力動を超えるのはやはり、愛とか
無我に拠るエネルギー流動しかない、、のだろう。
そこにたどり着けるのだろうか…。
愛はすべてを溶かすと誰かは言ったけど、、。
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ヒューマンデザインのビデオで
ラーのセリフを拾いつつ、唯心論的な世界観。
太陽は我を待ちて昇る。
トンボはトンボ、カメムシはカメムシの個性を
ただ自分中心に発揮しているから世界は回っている。
セルフィッシュネスの肯定。
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他力で生きているに関わず、
「一人前」の顔をしている我々へのインパクトのある
アフォリズムを考えたい、ということ。
我々は大いに地球に拠っている。
カタカムナ学校、いつか通うことになるかもしれない。
そしたら私は泣くかもしれない。
理由はよくわからないのだが。。
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ヒューマンデザインで、
1/3プロファイルは損な役回りな気がして
愚痴を言いたくなった。
ラー曰はく、1/3は劣等感の砦で、
権威主義に陥りがちだという。
安定した土台が欲しいのに、
トライアンドエラーでしか学べないから、
失敗の連続で自信を失う。
だから、どうしても既存の価値体系に
頼ってしまう構図…。
はあ。おっしゃる通りで、そりゃないよ。
1/3はうつ向いて本を読みながら、
道を歩いているから、どかどかと人や壁などにぶつかる。
失敗体験が自己肯定力、自身への自信を失わせていく。
信頼できる世界なら、いいんだけどね、、。
厳しい世界では、自分を愛するのも大変だ。
厳しい条件の中、何とか自分を立て直そうと
もがいている我らに励ましの言葉をかけたい。