■ 悟りへの道しるべ
◇ 諸法無我
この世界でそれ単独で存在しているものなど何もない。
諸物は互いに寄りかかって存在している。
おかげさま。世界は遍く対立的調和結合。
◇ 諸行無常
この世界で変化しないものは何もない。
すべてのものは移ろい行く。
循環の世界。万物は流転する。
◇ 世界に意味はない
遠く、宇宙の外っ側からこの地球と呼ばれる星を
眺めてみれば、何だかよく分からん生物(ヒト)が、
勝手に諸物にレッテルを貼り、
意味やら価値を勝手に作って
ワイワイやっているだけである。
そんなものは、ある「種」の独自の意味づけで
相対的であり、当然絶対ではないのだ。
そんな人工的(man-made)な意味づけは、
宇宙全体から見た自然世界ではまったく無関係で、
何ら意味を成さないものだらけなのである。
◇ 当然としてある多様性への理解
多様性は循環・繁栄の基盤。
違いがあるからこそ、世界は「動的」であり、
循環するということ。
易経のモデルはシンプルにして要点を得た宇宙モデル。
世界は遍く対立的調和結合である。
多様な命がきらめくうれし楽しい世界。
諸物はどれも宇宙の一部分であるから、
それぞれに持ち場(機能)があり、違って当然。
だから宇宙は回っている。
◇ 循環するエネルギー
この世界は循環している。
それは個のレベルで言えば、
その個のアウトプットしたエネルギーが、
インプットとして帰ってくるということである。
例えば我々はいつも呼吸をしていて、
酸素のINと、二酸化炭素のOUTの循環がある。
アウトプットの仕方は諸物それぞれ。
基本的に諸物は「あるだけ」で、
「エネルギーの通り道」である。
出す個物があれば、それを受け取る個物がある。
月のようにただ跳ね返す個物もある。
ピッチャーはキャッチャーがいるから、
球を放れるのであり、キャッチャーがいなかったら
自分で球を取りに走らねばならない。
ところで他者からエネルギーを奪うのは、
この道理に反している。
自分のエネルギーを回していない。
するとエネルギーが淀み、
いつかそこを「かき混ぜる」ような
現象が起きるのだろう。
奪う行為は、自分の力を信じていない、
ある種の他者への依存である。
◇ 世界に飼い慣らされたペルソナ
我々の多くは「投げ出された世界で飼い慣らされた」
ペルソナ(自我)を、絶対の自分自身だと思い込んでおり、
それを大そう大事に可愛がっている。
まずはその可愛がっているペルソナが、
ペルソナ(仮面)でしかないことに気づいていこう。
それはたまたま生れ落ちた世界で、
ほぼ受動的に色づけられた、
思考や反応の心的パターンである。
肉体という存在形態の限定を持ち、
まずは親からの価値観の押し売りを受け、
生育環境によりまたその影響を受け、
大きくは時代の精神の意味体系や、
価値観の制約を受けて…、
それは
「あなたの了解なしにたまたま築き上げられた、
ひとつの思考パターン」
でしかないことに気づいていこう。
あらゆる制約から解放された視点を持てない限り、
人は無明の暗闇を彷徨うことになる。
この世界のひとつの物語は、
無意識に身につけてしまった
心の反応パターンを自覚し、さらに統御し、
今度は「そのペルソナの仮面を投げ捨てて」、
もともと持っている自らの翼で羽ばたいて
世界を駆け抜けることにある。
人生は奴隷の眠りから目覚める一つの物語でもある。
人生は自分の世界を明らかにしていくプロセスである。
◇ 万物斉同
神的視点で観れば世界に境界はなく、
そこは問答無用に一なる世界。
そこに勝手に境界を作って、勝手に名前を付けて
いるのは自我であり時代の精神である。
ペルソナは自己言及を可能にし自他を分ける。
認識形式である「時空間」は、対象を表象し、
経験を可能としている一つの装置(存在形式)である、と
冷静に分析して、それを知って自身が対象化された
世界を楽しめればいいのだろう。