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おはようございます。

[いつかの夏の城ヶ島の夕景…]

 

昨日、私が住んでいる東京地方も、漸く梅雨明けりの報せが、正式に発表されました。

 

いやー、今年の梅雨は、極端な梅雨寒ではなかったものの、とにかく長かった!

 

オホーツク海高気圧と梅雨寒に虐げられた去年ですら、7/24の梅雨明けですから、いかに今年の梅雨にズルズルと引きずらされていたことがわかります。

 

数日前の予報では、立秋直前の8/4ないし8/5頃の梅雨明け予報だったので、まずい展開になると、「梅雨明けなし」の憂き目を見る年になるのでは?ということも覚悟はしていましたが、そういう意味では、少し早まったとも言えます。

 

何はともあれ、遅ればせながらも夏の日を満喫したいと思います。

 

ところで、今年はその「難」を辛くも免れたものの、梅雨明けなし若しくは天候不順の憂き目を見た夏の日というのも、勿論存在します。

 

今日は、そんな夏の年で、私が印象に残る年を3つ挙げたいと思います。

 

①1993年

なんと言っても、これが真っ先に挙がってしまいます。

当時私は、青春真っ只中?の高校生時代、頭も体も、今にして思えば羨ましいくらい柔軟なだった頃の夏の日が、この大悲劇でした。

 

この年も雨に次ぐ雨で、梅雨寒も相まって、雰囲気のどんよりした感じでした。

 

当時の世相も、バブルの狂乱が弾け、失われた10年とも20年とも言われ始めた頃の不景気でした。

 

特に話題になったのは、長雨と日照不足による農作物の不良、特に主食たる米の稲の生長が壊滅的になり、新聞は挙って「平成の米騒動」などという見出しを打ち続けました。

 

急遽、タイから米を輸入、いわゆるタイ米ですが、これが日本人の舌になかなか合わず、そこで苦肉の策として、少ない国産米とブレンドした「ブレンド米」を販売するという、日本人ならではの発想で、糊口を凌いだ感じでした。

 

このタイ米、普通のお茶碗で白飯として食べるよりも、炒飯やカレーライスとして食べると、そこそこイケたので、当時の食卓のカレーライス率は、わりあい、高かったと記憶しています。

 

当時、まさしく「ご当年ソング」としてリリースされた「夏の日の1993」が、当時隆盛のトレンディドラマとのタイアップ戦術により、大ヒットしましたが(楽曲は、素晴らしいです)、歌詞やメロディーに出てくるような、真夏の陽射し輝くような感じにならなかったことが、何とも悔やまれてなりません。何分「ご当年ソング」なので、後年リメイクしても、当時のあの大冷夏を、まず、思い出してしまうのであります。

 

さて、青春の日々を、すっかり冷やされた私でしたが、この間、内勤の夏休みバイトをしておりました。バイト代で9/1(9月になると、急に青空が戻ったのにも腹が立った)、東京は御茶ノ水の某楽器店で、人生初となるエレキギターを購入しました。そこそこの物が買えるバイト代でしたが、何故かケチって、名前も知らぬメーカーの物を購入しました(残念ながら、今はもうありません)。

[写真右側のストラトタイプのエレキを購入しました]

 

②2003年

①から10年後のこの年も、関東地方は冷夏でした。

氷河期世代の烙印を押された私でしたが、無名の大学しか出ていないにも関わらず、大変運の良いことに、大手ハウスメーカーの設計職に就職でき、その会社の研修先で缶詰になって勉強した末、二級建築士も取得できていた状態でした。

 

2年間の実務経験も積み上げて、次は最難関の一級建築士試験に向けて、再び受験勉強を続ける日々を送っていた頃です。

 

前年、初受験ながら、学科試験に滑り込みで合格、続く設計製図試験に合格すれば、なんとストレート合格!ということになったのですが、残念ながら、設計製図試験には敢え無く不合格。2003年は、学科試験免除で、設計製図試験のみの挑戦!という状態でした。

 

当時の一級建築士試験は、2回連続で設計製図試験に不合格になると「リセット」ということで、再度、学科試験から受け直さなければならない、という非常にきついハードルが敷かれておりました。

 

つまり私は、後がない状態(これを、受験業界では「カド番」と称します)で、当然、休日は勿論、仕事がある平日でも出勤前や帰宅後は遮二無二、製図板で線を引き続け、通勤電車の中でも、フリーハンドで図面の練習をしていました(本当に、よく勉強していたなと思います。今だったら到底無理です)。

 

そんな中でのこの冷夏です。まあ、缶詰になり、強制的に勉強できる環境になれたという面では、良かったのかも知れませんが、ただでさえクラーイ気分の受験勉強。せめて夏の日差しでも浴びれたらと思ったのですが、外は連日の雨、そして、梅雨寒が続いたというわけです。

 

さて、肝心の結果ですが、健闘虚しく、あと一歩のところで設計製図試験に不合格。「リセット」の憂き目を見てしまいました(この時は、まさしく、精根尽き果てました)。それでも気を取り直して、翌2004年、学科試験からスタート、そして学科試験も、悩まされた設計製図試験も共に合格。20代の内に、何とか一級建築士になれました(因みに2004年は猛暑でした)。


 

[写真左側は2004年合格時の復元図面]

 

②2017年

②から更に14年が経過、もう40代になっていた私です。

 

この年、実は梅雨明け自体は早かったのです。

 

事実、本来なら梅雨真っ只中の筈の7月上旬に青空が続いておりました。このまま、この年は、例年よりも長い夏の日になるのかと、ときめいた記憶があります。

 

ところが、7月下旬から、それが暗転します。台風が次々やって来たのですが、これがスッと現れ、スッと去るようなものではなく、日本近海を迷走し続ける台風ばかりだったのです。

 

これが災いしてか、特に東日本で天候不順に戻ってしまい、社会人にとっては貴重な、お盆休みも当然、雨天曇天の連続で終わってしまいました。

 

まさにこのお盆休み、クーラーを新調・取り付けしたのですが、その涼しさが、却って恨めしかったのを記憶しています。

 

外に大雨降りしきり、梅雨寒に震えながらも、このままでは心まで腐ってしまうと思っていた矢先、ふと思い立ったのが、以前購入していたものの、仕事に忙しくてほったらかしにしていたDAWソフトでした。

 

時恰もお盆休み。外出する気も起きなかったので、丁度よい暇つぶしとばかりに、DTMの勉強を再開したわけです。

 

これが図らずも、翌2018年、私の初のDTMによる作品となる、「渚よふたたび」をリリースできるきっかけとなったのです。

 

↓クリックすると曲が聴けます!

♪渚よふたたび

 

[あの長雨がなければ「渚よふたたび」誕生も実は無かった]

 

あれ、こうして振り返ってみると、あとあと、自分の人生を豊かにしてくれている物事のきっかけを与えてくれているのも、また長梅雨&梅雨寒だと言うことがわかりますねぇ

 

人生と言うのは全くわからないものだなと、今回は辛くも梅雨明けした今、思うところであります。

 

今日も一日宜しくお願い致します。