人間は不完全かもしれない、だけど研鑽し少しでも完全に近付こうとするその過程にこそ僕は生きる意味があると思っている。
どうも現代の人々を見ていると自分が不完全な存在である事を認め、受け入れる所まではいっても
それを容認し、中には自虐的或いは何の躊躇もなく晒す(「不完全ですが何か?」みたいな)、半ば開き直りともとれる言動が横行しているような気がしてならない。
エンターテインメントもコンテンツに溢れ、何か無理に笑いを取ろうとするシーンを多く感じる(しかしながら現代人はそこでウケている)。
つまり僕が言いたいのは、せっかく人類は考える頭を持っているのにやや感覚的に生きてい過ぎやしまいかということ。(「オシャレは我慢」という言葉もこれに起因するのかな?)
同じ地球上の他の地域では紛争が起きているというのにまるで他人事のように浮かれ騒ぎ…
もう少し、いやもっと人の心に寄り添ってこそ AI とは異なる人類の存在意義があるのではないだろうか?
以前、僕の好きな「100分de名著」という番組でマルクスの『資本論』を扱った際、「ブルシット・ジョブ」というワードが出てきた。
番組内での解釈とは異なるが、あれには市場の飽和状態に拍車をかけるコンテンツの乱発やハッカー集団(や特殊詐欺グループ)則ち「悪意ある人間」、管理人が不足する中ただただ高いビルを建てる事にまっしぐらな建設業、或いは極小スペースにこれでもかと建て売りの住戸を建設し販売する業者などが該当するのではないかと僕は勝手に想像している。
一つ一つ順を追って説明する前に、まず大事なことを言っておこうと思う。
僕は人の営みに「無駄な」ものはそうそう無いと考えている。人の数だけ個性や答えのある以上、どんなに似ていてもそこには個性の自己表現があり、同じものは二つとないからだ。だけど「戦争」だけは違う。二つとない人の尊い命を奪うという行為は決して許されるものではないし、繰り返してはならない。
さて、本題に戻ろう。
●いくら自己表現の一環とはいえ、やはり低俗なコンテンツが蔓延ると良質なコンテンツを埋もれさせてしまう(其の実そういう輩に限って自己顕示欲が強くガツガツしており表にしゃしゃり出る)
●「ハッカー集団(や特殊詐欺グループ)則ち『悪意ある人間』」…セキュリティの強化といった対策を講じる手間や煩雑な作業を生じさせ、かつ人と人の「信頼」という結び付きを分断する彼らは言うまでもなく “bullshit”。
だけどネットの世界でしか個性を発揮できない(昨今盛り上がりを見せている「eスポーツ」とそれで日の目を見た人達もこの部類に入るのかな…)人や、本当にお金に困っていながら真面目に働く事の出来ない、そんな人たちが社会には一杯いるのかな。願わくば誰もが人に余計な迷惑を掛けずに個々の実力を発揮できる社会になると良いな。
●「建設業界」…ずさんな管理体制の整備が後回しになりただ建てる事にばかり目が行っているビジネスモデルは先が見えていると思う。
雇用の維持を真剣に考えるのであれば新たな事業の創出は急務。但し、神社仏閣に関しては「技」を継承し培っていく目的もあるだろう。
Σigma
“Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.”—Richard von Weizsäcker
(「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」)