愛と憎しみ先日、ふとしたきっかけで昔大学で教わったキリスト教に於ける『愛』の形態(アガペー・フィリア・エロス等)について調べていて、こんな言葉を目にした。「愛と憎しみは表裏一体」これはあくまで書いたその人の私見だと思うが、僕は「表裏一体」よりも「紙一重」の方が近いような気がする。何故なら「憎しみ」に変わってしまった愛情はもはや「愛」ではないと僕は思うし、それは俗に言う「愛の鞭」のような「相手を想う心」でもない(「相手」でなく「自分」を想う心ならある)と感ぜられるからだ。