僕が専攻していた英詩の世界にも、嘗て似たような議論があった。(以下『英詩理解の基礎知識』志子田光雄著 金星堂 2009 より抜粋〜)
「Augustan Age(大体 1660-1760 年)の詩人達は,詩は高貴な精神の表現であるという理由で,日常の卑俗な言葉を用いるべきではないと主張した。たとえば Thomas Gray(1716-71)は…自著の The Dictionary of the English language(1775)で ‘poetic diction(詩語)’ を『日常使用の猥雑さを取除いた言葉の体系』と定義している。
このような修飾的な言葉にたいして 18 世紀後半から 19 世紀初頭にかけて反対運動が起り, 1800 年に William Wordsworth が Lyrical Ballads の序文で『散文と韻文の言語の間には本質的な相違はないし,またあり得ない』と言って,詩を日常語で書くべきであると主張した」
個人的には、詩は “Blaue Blume” に代表される様な愛や憧れといった非日常の世界観を描き出すものと思っている。
卑俗かどうかはさておき、大衆的なものであればエッセイや小説だって良いと思う。
そして僕は、愛の根源を探るうちノンフィクションや自然主義の作品にも深い魅力を感じ始めている…
但し、人と対話する際に言葉を選ぶように、
本質的な中身の部分を改変する事なく、出来るだけ「品位ある言葉を選ぶ」というのが僕のスタンスだろう。
Σigma