夢 | Σigma のブログ~ 恋愛詩上主義 ~

Σigma のブログ~ 恋愛詩上主義 ~

自作の曲はこちら♪
https://soundcloud.com/user-896410369/tracks

夢に印象深い景色(心象風景)を見る事がある。
そんな時には、恐らくその指し示しているは此処であろう、
という場所を、たまには逍遥してみるのも良いかな、と思ったりする。

しかし目覚めから暫く経ち意識がはっきりしてくると、
またいつもの合理主義が頭を擡げてくる。
実際にその様な場所は無いし、仮に似た様な所があったとしても、夢では本来別々の場所に在るものが一緒くたに配置されていたりする。
そもそも徘徊する事に意味等あるのか、と。

だが、夢はその人の無意識に欲するものを映すという話も聞いた事がある。
ならば、それに素直に身を任せてみるのも良いではないか、誰に迷惑を掛けるでもなし…しかし現実と記憶に刻まれた情景とでは、その時間軸に大きな隔たりがある。
だから、私はいつも夢に裏切られた気になるのだ。

ここで少し考え方を変えて、夢に見た飲食物ならどうであろう。
これなら、生きていく為に口にしなければならぬし、また大概の「モノ」とは違い、形として残り後でゴミになる事も無い。

だが此処でも、例に漏れずある個人的な問題が生じる。それは、
・夢で見たルートで
若しくは
・夢で心に残ったお店で
買うのか、
それとも自分が日頃の経験上 知っている最も安いお店で買うのか、という素朴で且つ複雑な問題が。

よく科学が想像力(その昔は信仰心)を廃れさせるというが、合理主義も同じだろう。

山奥で周りに一軒もお店の無い環境で、何か物を買うなら此処しかない、とか、
昔ながらに商店街で顔の知れたお店の上さんや店主から(基本的に野菜なら八百屋、魚なら魚屋という風に)買うのが良いなぁ…