自分自身経験を積むことなく、ただ内内で知識等を身に着けても頭でっかちになるだけだなぁ・・・
というのも、語彙の範囲が広がるのは良い事だけど、自分の中である程度指針がはっきりしていないと
どれを選択したら良いか迷い、そして純粋に、偶発的に心に浮かぶ言葉にペンを走らせていた、
感覚的だった当時に妙な稚拙美を覚え心惹かれてしまう・・・
例えば「笑う」と「嗤う」は未だ良い方で、
「体」と「躰」、「溶ける」と「融ける」等は、漢字の語源まで遡って調べてみても
取り立てる程の差異が見当たらなかったり・・・
まぁ、英詩には "Ambiguity"(曖昧さ・多義性<ポリセミー>)の様な技法もあるんだけどね。
今の自分は未だそれを駆使できる程に到達していない・・・
ただ「ファム・ファタル」といったテーマを扱っていると、正解の無い事の方が多いわけで・・・
この様に不明瞭な事柄を、エイボンの詩人('the Bard of Avon')と称えられるシェイクスピアは
かの『ロミオとジュリエット』の中で
ああ,争う愛,愛する憎しみ,
ああ,そもそも無から生じた有,
ああ,重い気持の浮気心,まじめな戯れ,
美事な外見をした不格好な混沌,
鉛の羽根,輝やく煙,冷たい火,病める健康,
眠りとはいえぬ絶えず目覚めている眠り
I. i, 174-180
云々と見事に表している
/Σigma