こんばんは。
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しばらく前まで、よく見ていた夢の一つに、「靴を失くす」というものがあります。
靴というのは、一般的に「仕事」のシンボルだといわれます。
それも、天職のようなものではなく、「生業(なりわい)」としての仕事なのだそうです。
だから「靴を失くす」とは、仕事 = なりわいを失う → 失業する、と考えてよいことになります。
クリエイティブ系の仕事をしていた期間も半ば過ぎから、そういう夢を見るようになりました。
当時は充実していたので、人からそういう解釈を聞いたときも、あまりピンときませんでした。
でも、思い出してみると、仕事が忙し過ぎて、自律神経がおかしくなったことや、どうしてもパソコンの前に座りたくないときもありました。
潜在意識は、次のステップに進む頃だと考えていたのでしょうか。
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今の仕事になってからも、これは天職ではないと考えていたせいか、
ときどき、靴を失くす夢や、靴を履いていない夢を見ていました。
その頃には、靴の夢の解釈を受け入れていて、
新しい仕事を探さなくちゃなーと思っていました。
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大きく変わったのはコロナ禍のときでしょうか。
「エッセンシャルワーカー」という言葉を知ってからです。
それを天職だと意気込んで行なっている人は多くはないかもしれませんが、
社会がつつがなく回っていくのに必要不可欠な仕事。
レジ係、配達員、ゴミ収集の仕事、介護職 etc…
私の仕事も、エッセンシャルワーカーなのかな、と(ちょっと微妙)。
エッセンシャルワーカーが生業として成立するためには、働いている人のやりがいはともかく、直接的に「人の役に立つ」ことが必要です。
そうか、仕事って「人の役に立ってなんぼ」なんだな、と改めて納得。
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なぜそんなに納得するのに時間がかかったかというと、
エッセンシャルワーカーは(不可欠なのに!)、社会から高い評価を受けておらず、したがって給与も高くなく、たいていは身分も安定しないからです。
給与の高い仕事が、それに見合うほど社会の役に立っているのかどうかも、考えさせられました。
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そんなこんなで、自分の仕事は天職ではないかもしれないが、人の役には立っているようだと、
改めて「生業」として受け容れるようになりました。
その頃から、「靴を失くす夢」(および履いていない夢)は、見なくなったような気がします。