おはようございます。← 初!
ご訪問いただき、ありがとうございます。
スピリチュアルな学びには、「赦(ゆる)し」だけでなく、「識別」の学びも必要ですが、、
いろいろな種類 の文章を、とにかく たくさん 読めば、見分けられるようになるかも、というお話です。
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私は、仕事柄、大量の文章を読んできました。
そんなわけで、
農協のオバチャンが、キュウリを手に持つと、一瞬で新鮮か、中身がスカスカかわかる、とか、
↑ テレビで見た
漁協のオバチャンが蟹を手に持つと、一瞬で身が詰まっているか、スカスカかわかる、というように、
↑ どこかで読んだ
大量の文章を読んできたオバチャン(ワタクシ)は、記事や本の一部を読んだだけで、それがその人 / 存在の智慧が詰まったものなのか、中身がスカスカなのかわかる、
という特技を持っています。
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これは、チャネリングでも普通の文章でも変わりません。
その仕事の人たちにとっては、半ば当たり前の能力です。
それがないと、仕事で間違うと思います。
ある文章についての感じ方を、同業の人たちに確認してみると、みな同じように感じているとわかったこともあります。
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行間を読む、というのは誰でも多少は行うことだと思いますが、
毎日の訓練?により、その能力がさらに発達してしまったと思われます。
もともとエンパスであることも加わって、
字面だけではなく、行間の情報、文章に流れるエネルギーなども感じているのだと思います。
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たとえば、
言葉は真っ当でも、あ、これは借り物だ、とか、本人自身が理解していない、と感じたり、
人に伝えたいことがあるから本を書いたのではなく、自分を売り込むために書いたのだ、と感じたり、
そのほか、それぞれに、いろいろな動機を感じる場合があります。
とはいえ、仕事仲間と共有する必要があるとき以外は、口外しません。
所詮は「主観」ですので…
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もっとも、
実際には、あえて行間を読まずとも、書かれた文章だけで、本人が言いたいこと以外に、かなりのことがわかるケースも多いので、そんなに特殊な能力ともいえないかもしれません。
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たまに、字面を追っても意味がまったく頭に入ってこない、字を読むことができない、近づかせてもらえない、
稀に、読もうとすると気分が悪くなるものなどもあります。
こうなると、その理由の詳細はわからないままです。
はっきりしているのは、それ以上、読まないほうがよいということ。
※ 仕事では,そこまでのものには出会いません。
なお、書籍であれば、キュウリや蟹のように、持っただけで、自分に合うか合わないかくらいはわかります。
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じゃあ、自分の文章はどうなんだ、と言われても、そこはよくわかりません(笑)ゴメンナサイ。
人間、自分のことはわからないものです。
あ、でも、自分に降りてきたメッセージは、③ の「真っ当であること」、 authenticity と decency の法則で見分けるようにしていますよ。
このシリーズは以上です…