こんばんは。
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BUMP OF CHICKEN の
「アンサー」という曲があります。
※ TVアニメ「3月のライオン」のオープニングテーマ
基本的には、自分の中の「本当の声」を信じるという、BUMP OF CHICKEN らしい歌なのですが、、
それがよく表れているところが、
本当の声はいつだって
正しい道を照らしている
ただ、そのあとに、こんな歌詞があります。
なんだって疑っているから
とても強く信じている
・・・・・
自分の解釈が合っているのかどうかわかりませんが、
信じるということには、いくぶんかの 疑い が含まれているのかな、と。
わからなさ、とか。
だから、余計に強く信じる、信じようとするのかな、と思いました。
100%わかっていることは、信じる必要はなく、知っていること、事実になってしまうから。
疑っているからこそ、わからないからこそ、信じることが大切なのでしょう。
高校を中退して、ミュージシャンになるべく、16歳で上京した藤原さん ( ファンは藤くんと呼んでいるようですが ) の実感でもあるのかと思います。
・・・・・
そんなことを考えながら、
「奇跡のコース 心理療法」
を読んでいたら、、
こんなフレーズが。
「 ( もし心理療法のプロセスに神を信じることが必要だとしたら、それは実に不公平となります。また、) 神を信じるということは、あまり意味のある概念ではありません。なぜなら、神は知られることしかできないからです。」
It would be unfair indeed if belief in God were necessary to psychotherapeutic process. Nor is belief in God a really meaningful concept, for God can be but known.
別のところでは「神」について、それほど信じる必要はない、とも述べています。
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今回の話題に戻すと、「コース」も結局、信じることは、知らないことを前提としていることになります。
「知っていること」と「信じること」は、相容れない概念 なのです。
そう考えると、信じる、という行為は、美しいと同時に、なかなかにエネルギーの要ることでもあると思いました。
もちろん、無意識に信じ込んでいることとは、話が別になります。
前者が faith だとするなら、後者は ( unconscious ) belief でしょうか。
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ところで、
自分の願いや宇宙を信じきれ、なんていう人もいますね。
信じ「きる」ことは論理的にできません。
10% - 数字は適当 - くらいの疑いは、あって当たり前、「なんだって疑っている」のも大事。
それでも、、
「正しい道を照らしている」「本当の声」を信じようと思います。
転ばないように気を付けて
でもどこまでもいけるよ
・・・