こんばんは。
ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
先週、朝ドラを見ていて、主人公が「何者かになりたい」と言うセリフ※がありました。
※「ほんじゃきー、わしは何者かになりたいがじゃ」と。
英語では become someone と言うようです。
いい意味で使われます。
普通は。
ひとかどの人物になる、といったニュアンスです。
ドラマでもいい意味で使われています。
ところが、スピリチュアルな世界では、価値観が 反転 します。
在家の価値観 vs. 出家の価値観
ともいいますね。
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クリシュナムルティはよく、「何者かになろうとするな」と言いました。
さて、昔は人間性心理学で観察されたように、色々な欲求を順に満足させていき、功成り名遂げた人が、スピリチュアルな体験に進むというのが一般的だったかもしれません。
ですが、私のスピリチュアルな友人たちは、十代の後半から二十代のうちに、スピリチュアルな傾向や体質が明らかになった人が多いです。
そういう人たちは、言われなくても、いわゆる立身出世をしようなどとは考えていません。
故・河合隼雄先生が一度、おっしゃっていました。出世なんぞと言わず、一度出世してみなはれ、と。
クリシュナムルティ的には正しい生き方をしている私たちですが、、、
親や世間の受けはよくありません。
( バイト、無職、ぐうたらな主婦など )
そして、困ることがあります。
私はあまり有名にはなりたくないのですが。
少なくともその業界では,そこそこ有名になるくらいでないと、収入が増えません。
うーむ。
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そもそもクリシュナムルティさんに言われるのもどうなのか
クリシュナムルティは周囲に「世界教師」として祭り上げられた挙句、自分はそのようなものではないと、その座を降りた人です。
何者でもなくなったつもりかもしれませんが、最初から何者でもない人とは違います。特別感はなくなりません。かえって増したでしょう。
ずっとお付きの人はいたようだし、世界中で講演はするし、話を聞きたい人がしょっちゅう来るし、著書や講演集もたくさん出したし…
訴訟や諍いも多かったようですが…
ある種のセレブですね。
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本人によると、花が咲くように 生きているだけ、ということらしいです…
周りがどうであれ、someone が他の誰かではなくて、自分自身ならいいのか…
ただ、それが、なかなか難しいのですよね。
やっぱり、まず「何者か」になってしまったほうが楽???
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クリシュナムルティさんは、好きでできる仕事に就くことは大切だと言います。
それは、まぁ、やれているかな。
というわけで、現状維持。
やりくりすれば、何とかなります
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ところで、今週の朝ドラでは、’ 名もない草 ‘ たちが「何者なのか知りたい」と、主人公が言っていました。
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スピ的には…
自分が「何者なのか知りたい」ならOK?
Who am I ?
こちらは、ラマナ・マハルシさんですね。