TEDxで話した内容についていろいろ。その1

 

 

大学院生の時の話で、不登校のキャンプの話が出てきますが、当時は何事にも優先させて、とにかくキャンプに行っていました。

学業としては、教える側から見たら本当にやる気のないダメ学生だったのですが、このキャンプついてだけは本気でした。

 

当時は臨床心理士資格を取るための指定校がまだ十分な数がなく、というか大学院自体が少なく、指定校でなくても心理や社会学といった隣接領域の大学院+何年かの実務経験でも臨床心理士の受験資格が取れるときでした。

 

そんな状況で、インターネットも発達しておらず情報もあまりない状態で、よく調べもせずにたまたま(奇跡的に)受かった地元の大学の教育心理に入ったものの、心理学は心理学でも本当に教育心理学や発達心理学のみで、こりゃあなんか実際のカウンセリングに役立つ何かをトレーニングしないとヤバイかもしれない、と思い、とかこれまた深いことを考えずに、なんか経験になりそうなその不登校のキャンプに参加することにしました。

 

そのキャンプは御殿場にある国立青少年センターの主催事業として多分、やっていたのですが、県の内外を問わずにいろんなところから教育系の大学生のボランティアが来ていて、天候の変化や、子供故のハプニングに対処しながら、どうやってプログラムを進めていくのか?ということをボランティア同士で相談してプログラムの運営を助ける、そういうことの面白さに夢中になっていました。

 

 

今思えばきっと地元の指導主事さんがボスとして来てくれて、全体の取りまとめをしてくれていたのですが、本当に人として大きくて素晴らしい方で、その「ボス」を中心にスタッフがまとまってプログラム運営に取り組んでいました。

 

大人の目から見たら穴もたくさんあったと思いますが、そこに全力で取り組んだ日々は、僕にとってはとてもとても大事な体験になっていました。

 

一つ不思議なのは、自分に都合の良い記憶違いかもしれませんが、そのキャンプの間はずーっと集中力が上がっていて、常に先を読んで全体を把握し、どんどん決断してボランティアリーダーとして他のボランティアに指示していける、そんなふうに普段とは違う自信と主体性に溢れた姿になっていたような記憶があります。

 

今思えばですが、子どもたちだけでなく、僕自身も、普段では発揮できない自分、こうでありたい自分を表現できる場、になっていたからこそ、夢中で参加していたのかもしれません。

 

東北で石巻や南三陸町に入って活動していたときも、なんか一つ頭がクロックアップされたみたいな感じになっていたのですが、そういうのもそのキャンプ以来だなと感じていました。

 

うまくいっている支援の場というものは、知らず知らずのうちに、支援者も支援される人も表裏一体となって、お互いが見えないところで支え合っている、そういう構造になっているのかもしれません。

 

TEDのスピーチの中では、みどりの東北元気キャンプとの比較の中で、支援者が応援してやらせても、肝心な主体性伸びないとの話をさせていただきましたが、こういった自分のことを振り返ってみても、子供にとっても普段と違う元気な自分を両親に見せたり、潜在的なポテンシャルを自分で確認する機会、解決像を早撮りして進んでいく道の先にいる自分を覗き見する機会になっていたのかもしれません。

 

特異な状況であっても、「あれ?俺意外と出来るやん?」という「例外」を発見して、心の底にストックされていることで、いつかその例外がと似た状況になった時にその例外に命が吹き込まれたようになったり、自分の成長に合わせて、未来の可能性として見せてもらっていた例外が、現実のものとなってい他、なんてことが起こっていたのではないかと思います。

 

そう考えると、少しだけホッとした気持ちにもなれます。