昨日、若い先生から道徳の授業で規律についてやりたいけど、今のクラスに合ってるかどうか迷って、みたいな質問を受けて、一時間くらい話をしたり。
今日はチームティーチングで道徳の授業をしたり。
ふと思ったことは、学校での集団は、目的を達成することと、そこに関わる全員が成長することの両方のせめぎあいというか、ミッションであって。
やっぱり目的を達成してきた人たちが先生になっているし、子どもたちに目的を達成させてあげたいから、いつのまにか目的志向になってしまったり。
そうするとつい目的達成に必要な子とそうじゃない子、みたいな分け方をしちゃいそうになって、いやいや集団でいるからこそ成長できる部分を見つけ出そう。
全員がその人なりに成長できるためのやり方を見つけよう、ってなったり。
その繰り返しなのかなと思いました。
バランスが崩れそうなときは、全員が成長できる、っていう目的に戻れば良いのかなって、そんなこと。
いま電通とアクティブ・ラーニングの共同研究をやっている熊Gの話してくれたヴィゴツキーの再近接発達領域(ZPD)
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090113ZPD.html
の話を思い出して、説明しながらあーだこーだと夜遅くまで話していました。
あと、同じ内容を違う学年にやると、ホント反応がいろいろ違うんだなと。
最近は授業と講演の違いがやっとよく分かってきて、やはり餅は餅屋、授業を作るのは先生で、内側のコンテンツを彩るのはワ・タ・シということでいろいろな方向性で協働ってのが、回り始めている気がします。
ちなみに、
電通のアクティブラーニング
こんなのどうだろう研究所
面白いです!