「王子様」と「変質者」:トランスジェンダーを隔てる残酷な境界線
最近、XGのCOCONAさんや、すとぷりの莉犬くんのように、自らの性自認(FTM:女性から男性へ)を表明し、ファンから「かっこいい!」「素敵!」と熱狂的に支持されるアーティストが増えています。その勇気ある決断は、確かに素晴らしいものです。
しかし、その光り輝く称賛の裏で、あまりに不条理な現実が放置されています。
なぜ、AMAB(生まれた時の性別が男性)のトランスジェンダー(MTF:男性から女性へ)が自分を表現しようとすると、途端に社会の視線は冷淡になり、「気持ち悪い」「女性スペースを脅かす変態だ」という罵声に変わるのでしょうか。
この決定的な違いは、社会が抱く「記号化された美学」の差にあります。
宝塚歌劇団の男役や「男装の麗人」に象徴されるように、女性が男性的な装いをすることは、古くから「洗練された美」として定着してきました。一方で、男性が女性的な装いをすることは、未だに「女装おっさん」という蔑称とともに、滑稽さや性的倒錯のイメージで語られてしまいます。
この偏見の壁を前にして、周囲は「気にするな」「自分の道を歩め」と安易に励まします。しかし、私が言いたいのは、個人のメンタルの問題ではありません。
社会全体が、MTFの存在を「脅威」や「汚れ」として処理しようとする、その底冷えするような悪意と構造についてです。
イメージを今すぐ変えることは難しいかもしれません。けれど、私たちが抱えている「呼吸するだけで否定される痛み」を知ることは、誰にでもできるはずです。
私がこの声を上げ続けるのは、自分自身のためだけではありません。 今この瞬間も、大人たちの身勝手な偏見に晒され、自分を隠して震えている子どもたちがいるからです。彼らが「自分として生きること」を絶望しなくて済む社会にしたい。
どうか、知ってください。 私たちの苦痛は、決してわがままでも贅沢でもありません。 ただ「人間として、普通に生きたい」と願う、あまりに切実な叫びなのです。