気功指導の難しさを感じる時 | 遠隔気功操作 サイキック覚醒丹道周天法

遠隔気功操作 サイキック覚醒丹道周天法

背骨内部を気が通る丹道周天、クンダリニー覚醒を体験したCOSMIC SHAMANが、気功・仙道、神秘行に対する
考察を述べるブログです。

(前回の関連記事は「神秘思想家グルジェフ 」です)


 気功指導の難しさを感じる時


わたしは願望実現・神秘行で結果が出る・出ないを左右する大きな原因の

1つはその人の「マインド(器)」にあると考えています。


そして、前回の記事では「マインド(器)」の説明として、ロシアの神秘思想家
グルジェフの意識の分類法を紹介しました。


グルジェフは人間の意識を


①睡眠状態


②睡眠から目覚めている状態(日常意識)


③自己想起(自己意識)


④客観意識(悟り)


に分類しています。


この内の


「②睡眠から目覚めている状態(日常意識)」


についてですが、これは人が生まれ育つ過程で〈自分自身〉だと

思うようになるものです。


一番近い言葉は「自我」でしょうか。


この意識状態では人は世界を「自分」と「自分以外」の2つに分けて考えます。


グルジェフはこの状態の人間を


彼は思考を止めることができず、想像力、感情、注意力をコントロールすることも
できない。


〈私は愛する〉〈私は愛さない〉〈私は好む〉〈私は好まない〉〈私は欲する〉


〈私は欲しない〉という主観的な世界、つまり自分で自分は好むと思っている、


自分は好まないと思っている、自分は欲すると思っている、自分は欲しないと

思っている、そういう世界に住んでいるのだ。


と描写しています。


これについては、わたしが気功指導を行っていてもどうしても思考を

止められないタイプの人がたまにいて、


わたしが


「今は○○の感覚を感じてみてください。」


と言ってもずーっと質問し続けてきたりします。


こうなると気功指導というよりは、〈気功知恵袋〉に

なってしまいます。


それで本人が満足すればいいのかもしれませんが、

気功自体のレベルは上がりません。


中には指導中にわたしが「○○をして下さい。」と話すと、


「それは○○の本に書いている事と違っています。」


といちいち返答してくるツワモノもいました。


その時は3回位までは答えたのですが、あまりしつこいので
わたしもいい加減うんざりして
 
 「それじゃあ、その本を書いた人に教わったらいいですよ。」

 

と答えてしまいました。


こういうタイプの人は何も考えないことが一番の苦痛です。


気功とはつまるところ体の感覚に意識を向ける事ですから、
気功やら神秘行関連の本を読んで、あれこれ考えれば考えるほど
行が進まなくなります。


この場合は気脈を開く云々よりも、今まで長年かけて身につけた

知覚パターンを壊すことが重要となるわけです。


そこで、指導時に意識の持ち方について細かくチェックしたり、


「○○さんの場合は、現実に役立つ本(金融・IT・語学)でも読んで、

 神秘行についてはあれこれ考えない方がいいですよ。」


とアドバイスします。


ただ、そうすると、


「なんで気功やスピリチュアル系の本を読んだらいけないんだ。」


「もっと早く気脈を開いてくれ。」


「なかなか効果が出ない。」


などと言ってすぐに受講を止めてしまいます。


こういう時は気功指導の難しさを感じます。


話は戻りますが、グルジェフはこの


「頭であれこれ考えてしまう自我意識」


を〈人格〉と読んでいます。


〈人格〉の特徴は〈周囲の環境に左右される〉ことです。


例えば、ここに彼女にフラれた次の日に会社が倒産して落ち込んで
ヤケ酒飲んでいる男性がいるとします。


この男性の反応は一見すると至極当然に見えるかもしれませんが、

客観的に見ると落ち込む根拠はありません。


フラれたせいで、もっといい女性が現れて付き合うことになるかも
しれませんし、会社が倒産したので自分で起業して大金持ちに
なるかもしれません。


要するにこの男性が落ち込んでヤケ酒を飲むのは、


女性にフラれる →不幸


会社が倒産する→不幸


不幸なとき→落ち込んでヤケ酒を飲むのが常識


という彼なりの現実解釈のパターンが身に付いているせいに
過ぎないわけです。


この現実解釈のパターンは、彼の両親や家族、友人や教師、
TVやネット、書物といったあらゆる外部環境からの刷り込みで
時間をかけて形成されたものです。


そして、その現実解釈のパターンに基づいて男性を行動させて

いるのが彼自身の〈人格〉なわけです。


グルジェフはこの〈人格〉について以下のように説明しています。


〈人格〉は「彼自身のものではない」


というのは外からきたものということであり、


彼の学んだもの、考えたこと、記憶や感覚の中に残っている外的な印象の

あらゆる・痕跡、学んだ言葉や動作、模倣によってつくられた感情、


これらすべては「彼自身のものではない」もの、


すなわち〈人格〉である。


こう考えると、人間はある一定のプログラム(=人格)に従って
動くようになっている機械と考えることが出来ます。


これがグルジェフが言う、


彼は機械であり、彼に関するすべてのことは起こるのだ。


と述べている意味となります。


それでは


「人間はプログラム(=人格)に従って生きるしかないのか?」


と言うと、グルジェフはそれは違うと否定しています。


なぜなら、人間にはプログラム(=人格)以外の部分があるからです。


彼はその部分を〈本質〉と呼んでいます。


小さな子供はまだ人絡をもっていない。彼は真にありのままだ。


つまり彼は〈本質〉なのだ。彼の欲求、好み、嫌悪はありのままの

彼の存在を表現している。


しかし、いわゆる〈教育〉が始まるやいなや人格が形成されはじめる。


人格は、部分的には他人による意識的な影響、すなわち〈教育〉から生じ、ま
た部分的には子供が他人を無意識的に模倣することから生じる。


まわりの人々に対する反抗や、〈彼自身の〉、すなわち〈真実の〉ものを人々から
隠そうとすることも、人格の形成においては大きな役割を演じている。


これは子供を育てた方なら誰でも経験することだと思います。


例えば、自分の子供が保育園で他の児童を叩いたり蹴ったりして
乱暴な振る舞いをしていると聞かされたとします。


その子供の〈本質〉は攻撃的な性質を備えているわけです。


しかし、親としては自分の子が他の子を傷つけることを放って
おくわけにはいかない。


激しく叱りつけたり罰を与えて子供の行動を変えようとします。


すると子供は自分の親に見放されることに恐怖を感じて、


(他の子供に乱暴なことをしなければいいんだな。)


と思い、自分本来の攻撃的な性質〈=本質〉を抑え込もうとします。


その結果、表面的にはおとなしい子供になり、他の子を傷つけなく

なるわけです。


親は子供の変化を見て満足するのでしょうが、実はそこで問題が
生じます。


〈彼本来の攻撃的な性質〉 =本質



〈後天的に身につけた   =人格
 おとなしい性質〉


の間に分離が生じるわけです。


わたしは人の波動を読むときにはその人の〈本質〉と〈人格〉の分離の

度合いを視ます。


するとこの分離の度合いが激しい人が願望実現や神秘行を行った

場合に深刻な問題が発生する傾向があることに気づきました。


つづく



 ※次回の記事更新日は6月1日です。




にほんブログ村 健康ブログ 気功へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ