(前回の関連記事は「疑似クンダリ二ー・エネルギー 」です。)
真言密教立川流
前回の記事では、
「タントラで男女が性交すればクンダリ二ーが上がってお互いに霊能力が
身に付くんですか?」
という質問に対して、
・セッ○スしたからといってクンダリ二ーが上がる確率は非常に低い。
・オーガ○ムとクンダリ二ーは必ずしもイコールの関係ではない。
(疑似クンダリ二ーの場合が多い)
・オーガ○ムや(疑似)クンダリ二ーで超感覚が覚醒しても放っておくと
元に戻ってしまうケースがほとんど。
という説明をしました。
おそらく、前回の記事を読んだ方は
「タントラで霊能力を開くのは難しいんだな。」
という感想を抱いたと思います。
しかし、これは逆に考えれば
①セッ○スでオーガ○ムに達すれば本格的なクンダリ二ーを上げられなくても、
疑似クンダリ二ーが上がる確率は高い。
↓
②疑似クンダリ二ーでも霊能力を開くことは可能。
↓
③もし、覚醒した霊能力がもとに戻ってしまいそうになったら
また疑似クンダリ二ーを上げればいい。
↓
④セッ○スして疑似クンダリ二ーを上げ続けていれば覚醒した霊能力を
維持できる。
ということになり、
「毎日セッ○スしてオーガ○ムに達していれば霊能力が手に入る。」
という、まるで男子中学生の妄想のような理屈が導き出されます。
この理論を実行したのが前々回の記事で
このタントラの技法は日本にも部分的に伝わっており、真言密教立川流では
性交によって男女が真言宗の本尊大日如来と一体になれるとされています。
と紹介した「真言密教立川流」です。
その具体的な修行法について、Wikipediaでは以下のように
説明されています。
選ばれた髑髏の表面に性交の際の和合水(精○と愛○の混ざった液)を
幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、さらに髑髏の内部に
呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。
しかもその行の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えて
いなければならない。
こうして約7年間もの歳月を費やして作られた髑髏本尊はその位階に応じて
3種類の験力を現すという。
下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは
言葉を発して三千世界の全ての真理を語るという。
〈髑髏の前でマントラを唱えながらセッ○スをして、その時分泌された
体液を髑髏に 塗りつける行為を7年間続けると、髑髏が喋りだして
願いをかなえる。〉
とは、ベルセルクのようなダークファンタジー作品に出てきそうな話です。
もちろん常識的に考えて、ガイコツが喋りだしたり願いをかなえたり
する事はありません。
「それではなぜこのような行法が行われるのか?」という疑問については
以下のように説明されています。
しかし、この淫靡な儀式の奥には別の真実が隠れている。理趣経は本来
男性と女性の陰陽があって初めて物事が成ると説いている。
この儀式に7年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が
悟りを得ることがその目的だからであり、そうなればもはや髑髏本尊など
必要なくなってしまうのである。
行法の真の目的は髑髏に願いをかなえてもらうことではなく男女が悟りを
得ることにあるわけです。
このように神秘行というものは表面的に書かれていることはフェイクで真実は
奥に隠されているケースがほとんどです。
このブログで度々紹介している仙道研究家 高藤総一郎氏の本(高藤本)も、
わたしから見るとさまざまなフェイクが仕掛けられていて、奥にある根本原理を
理解しなければ行が進まないように書かれています。
しかし、世の中には本に書いてある事をそのまま信じてしまう素直なタイプの
人間が少なからず存在します。
京極夏彦の小説「狂骨の夢」には、昭和の終戦後の時代になってもガイコツが
願いをかなえてくれることを信じて真言立川流の儀式を行う人物達が出てくるの
ですが、これもあながち小説だけの話ではないと思います。
更に文章の解説を進めます。
男女交合の境地、すなわちオー○ズムが即身成仏の境地であるとされるに
至ったのにはいくつかの理由がある。
密教では、人間はそもそも汚れたものではないという、自性清浄(本覚思想)という
考えがあり、そこに性行為を含め人間の営みはすべて本来は清浄なものであると
十七清浄句が説かれていることに起因すると考えられている。
この文章を書いた方の、
〈男女交合の境地、すなわちオー○ズムが即身成仏の境地である〉
という見方はかなり鋭いと思います。
しかし、「オー○ズムが即身成仏の境地である」理由を密教独自の宗教的な
考えに求めています。
おそらくこの方はオー○ズムとクンダリ二ーによる霊能力覚醒の仕組みに
ついての知識はなかったのでしょう。
以上のような考えを頭に入れた上で、
「この儀式に7年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が悟りを
得ることがその目的だからであり、そうなればもはや髑髏本尊など必要なくなって
しまうのである。」
という部分を再び読んでみます。
文中の
「僧侶とその伴侶の女性が悟りを得ることがその目的だからであり、」
の「悟り」の部分を「霊能力」と置き換えてみます。
そうすると、
「男女が性交してオー○ズムに達する事を長期間(7年)続けていれば、
霊能力が覚醒して、その能力により普通の人間には得ることが出来ない
波動情報を手に入れて悟りに達することが出来る。」
と意訳することが出来ます。
また、髑髏本尊については、わたしから見るとこれは儀式を行う男女の波動の
結びつきを強めて行法の効果を増幅させる一種の波動グッズと考えられます。
ですから、
「そうなればもはや髑髏本尊など必要なくなってしまうのである。」
の部分については、
「髑髏本尊は男女のエネルギーを高めるための波動グッズに過ぎない。
だから真の霊能力が得ることが出来ればもう必要なくなってしまうのである。」
と読むことが出来るわけです。
真言密教立川流は、一般的な密教からは邪教という見方をされているようですが、
オーガ○ムとクンダリ二ーによる霊能力覚醒の観点から見ると、理に適った修行法
さすがに今のわたしは7年間も髑髏の前で真言を唱えながら交合し続ける
気にはなれませんが、男子中学生の時なら真剣に考えたかもしれません。
※次回の記事更新日は4月10日です。

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