phoebe's psychedelia -72ページ目

冥王星考察

星というものを、エネルギー的に捉え始めたのは
去年くらいだったかな。星からの影響を、"星からの
エネルギー"と言い換えると、すごく説明しやすい
ことに気がついて。

その観点から、自分の中で、星に色々なあだ名を
つけるようになった。

「海王星アンテナ」とか、「は虫類脳の火星」とか。

で、冥王星は「へその緒」。←(笑

きっかけは、チャートの中心点について、あれこれと
推察をしていた時だった。因みにあたし的には、
チャートのど真ん中、つまりチャートという円の
中心点は、「地球意識」。肉体としての自我も
魂的自我も超越したところに存在する意識。

その「点」が、「へそ」なんだな、あたしの真ん中には
「地球意識」があるんだな、って解釈した時に、自動的に、
じゃあきっと冥王星が「へその緒」なんだな、という推測に
結びついた。冥王星が、「生と死、死からの再生」という、
あたしの尺度で解釈するに、命綱的エネルギーを
持つとされているからだ。「へその緒」も、命綱だよね(^^)

子供を生んでからというもの、あたしには一つの疑問が
ずーっと付きまとっていた。

「へその緒は、母胎側から伸びるの?赤ちゃん側から
伸びるの?」

という疑問。 それで、下のちび達を産んで、産後の入院
生活を送っていた頃、お世話になって仲良くなったナースさんに
その質問をぶつけてみたんだけど、

「あ~、どっちだろう~?」

って、答えが返ってこなかった。今思ったけど、そういえば、
どうしてあの時、お世話になったドクターにも聞いてみなかった
んだろう(笑 でも、こうしてずーっと長い間あたしの中に謎として
残っていたからこそ、こんな風に、冥王星とへその緒が自分の
中で繋がっちゃったのかもしれないけど(笑

とにかく、チャートの中心が「へそ」なら、「へそ」と外界を
繋ぐ、コード的な役割をするエネルギーがあるはずだ、
と考えていて、その時に「あ!冥王星に違いない!!」って
思ったのだった。

ここで話は一旦逸れるのだけれど、少し前、うお座の考察を
していた時に、地球に辿り着いた。うお座は、カオス。全ての
魂がやがて帰っていく場所、つまり喩えて言うなら、オーバー
ソウル。そこは同時に、命のゆりかご、つまり子宮的役割も
しているんだろうな、とあたしは考えたのだけれど。

地球とオーバーソウルを往復する魂のことを考えていて、
面白いことが見えてきた。オーバーソウルはもちろんだけれど、
少なくとも今現在の時点では、地球自身もうお座的な役割を
持っているとあたしは考えた。

こんなにもカオスの状態なのだけれど、このカオスこそが
地球そのものなのだ、と。 つまり、一見バラバラで好き勝手を
やって混乱ばかり巻き起こしながら生きている地球人一人一人
だけれど、その一人一人の地球人全てが存在するからこそ、
たったひとつの、この地球が存在している、ということ。

それは、まさにうお座の世界観。個であると同時に全体で
あるという世界観。オーバーソウル的観点から見れば、
それはごくごく当たり前のことなのかもしれないけれど、
あたし達地球人、言い換えれば人間には、肉体という
境界線があるから、混乱が起きる。 あの人とあたしは
違うー!! 一緒にすんなー!! って(笑

けど、一緒にすんなー!!って言いながらも、結局同じ
星の上で、同じ空の下で、蠢いているのだ。地球という
ひとつの共同体。そう考えると繰り返しになるけど、
やっぱりあたし達は、「個であると同時に全体」なのだ。

天界の星々と地球の関係を表す、あたしが好きな概念が
あるのだけれど、"天にあるがごとく地にもなされる"という
発想。(あるいは、真理?)この概念を素直に当てはめれば、
オーバーソウルも、オーバーソウルから降りて来た魂の
集合体である地球人も、同じ、ということになる。

つまり、やはり、オーバーソウルがうお座的であれば、
地球も、うお座的存在であるということ。すると、魂は、
うお座とうお座を、行ったり来たりしている、という推測が
成り立つ。

これで、何故あたしが、「冥王星はへその緒だ!!」って
根拠もなく思ってしまったのかに、少し説明がつく。

へその緒って、あくまでも、母胎の中にいる、胎児と、
母を繋ぐコード。母親の胎内にいる時には、そのへその緒に
胎児の全てがかかっているくらい、そのコードは重要な
命綱な訳だけれど、 母胎から、外界に飛び出した瞬間、
無用の長物となってしまう。

事実、誕生してきた赤ちゃんのへその緒は、一週間も
すれば、自然にポロッと取れてしまうのだ。そして、
へその緒が取れた場所には、ちゃんと立派におへそが
出来上がっている。(←どうでもいいけど、これって、
医学的知識を持った人には当たり前に納得できる、
科学的知識があるのかもしれないけど、あたしに
とっては、驚異的な現象のひとつだったんだよね(笑))

そう考えると、今現在、地球意識という「へそ」と、冥王星
という「へその緒」で外界(宇宙意識? 創造主? なんだろう?)
と繋がっているあたし達って、実は生まれる以前の状態
なんじゃあ。。。?!

肉体を持った命の芽として(ちなみに、胎内の赤ちゃんって、
胎児って呼ばれる前は、胎芽って呼ばれるんだよー!!)
母の胎内に宿り、地球上に飛び出してきたあたし達は、
当たり前に、この地球に誕生した命として、自分達のことを
捉えているけど。

この、肉体を持って、泣いたり笑ったりしながら生きてる
あたし達を、仮の姿、と、よくスピリチュアル界では
表現しているんだよね。そういう捉え方も、この「へそ」と
「へその緒」という推論を押し進めると筋が通っている
気がしてくる。

つまり、あたし達は、一旦、母胎から飛び出したことで、
【この地球に誕生した、この地球に生まれ落ちた、肉体を
持った生命体】として、自分達のことを捉えているけど、
個々に「地球意識」という「へそ」から、冥王星という
「へその緒」コードで、「宇宙意識」に繋がっているとしたら、、、?

地球人的には臨終の時を迎え、冥王星という、「生と死」を
司るエネルギーによって、その命が終わる時、彼岸の地へと
旅立つとされる魂は、同じく冥王星の果たす「へその緒」
というコードを断ち切って、「オーバーソウル」の世界に
生まれ落ちる、と考えることができるのだ。

地球上の今の姿は、仮の姿である、の説明がつくよね!!

奇しくも、最初に述べたように、冥王星は、「生と死」と
同時に、「死からの再生」というキーワードを持つ。
地球上では死に行くけれど、地球上での死は同時に、
やはりオーバーソウルの世界での、誕生を意味して
いるような気がしてならない。

地球は命のゆりかご、母なる大地、なんて言われて
いるけど、これって、地球上だけじゃなくて、宇宙意識
にまで広げた観点からも、通じる比喩なのかもしれない。
だって、地球もうお座的なんだもん。「子宮」、つまり、
母という生命の中に、全く別の個体である、子どもの
生命を宿って、同時に存在している、というカオスの
状態なんだもん。

地球という子宮から飛び出して、オーバーソウルに
生まれ落ちるなら、地球は、まさに魂的命のゆりかご!!

ここまで、イマジネーションワールドで推測を発展した後、
ところで、へその緒って、誰の臓器なんだい?!っていう
疑問がフラッシュバックしたんだよね。

それで先日、ネット上で検索かけて、やっとちょろっとだけ、
長年の疑問の答えらしき情報にhitできた。端折って言って
しまえば、胎児側の組織から伸びるものらしい。ちなみに
胎盤っていうのは、母親側と胎児側の組織が合体して
できている物体らしい。その胎盤を目指して、へその緒が
伸びていくらしい。

うーん。素晴らしくカオスなワールドだ(笑

でね、へその緒が胎児側から伸びる、ってことは、
やっぱり「地球意識」という「へそ」の持ち主である
あたし達から、「へその緒」は伸びているんだよね。
そこに、「生まれるぞー、生きるぞー」という、計り知れない
主体的な意志を感じるのは、あたしだけ?!(笑

結局、地球上の肉体としての生命としても、宇宙意識の中の
魂的存在としても、「生まれるぞー、生きるぞー」って、
自ら「へその緒」を伸ばして必死に成長しているんだよね、
あたしたちって。ちょっと、いじらしいね。

そして、だ。こうやって、「胎盤」的エネルギーを供給して
くれる誰かにお世話になってまでも、生まれ落ちるために
必死に成長しているなら、せっかくだし、やっぱり笑い飛ばし
ながら、胎児ライフを目一杯エンジョイしたいなー、って
あたしは思うのだ。だって、今目の前にある母胎内の景色は
素晴らしく美しくて、母胎内での日々は、狂おしいほどに、
めちゃめちゃ愛おしいんだもん!!

ちなみに、この冥王星の「へその緒」コード。
多分、地球にグラウンディングする時にも使えると思う。
「へその緒」だからね、自分から伸ばせる。

けど、使い方を気をつけないと、ただのパラサイトに
なっちゃうからね。繋ぐ方も、繋がれる方も、くれぐれも
be in control!! いつ、何時でも、しっかりと意識を覚醒
させて、意志を持って自らを律していていてください(笑 
↑いや、笑い事じゃなく、自戒の念も含めて、まじで(^^;

ぐちゃぐちゃだ。 〜ドラゴンヘッド/ドラゴンテイル考察〜

060629_mymicrocosmos

あまり人前で愚痴るのは得意ではないのだけれど(^^;
とにかく、先週くらいからぐちゃぐちゃ。とても感情的に
なっていて。

ぐちゃぐちゃ具合がドカンと勃発した日のチャートを
立てたら、ちょうどdragon head/tailが、おひつじ/
てんびんから、うお/おとめに移行した日だった。

去年辺りから、トランジットのhead/tailも視野にリーディングを
始めて、ずっと考察はしていた。すると興味深いことにnatal
チャート上で、トランジットのhead/tailと何等かの反応を
起こしているクライアントさんを結構お迎えしていることが
判明して。

該当する方にはそんな観点からもお話をさせて頂いていた。

で、あたし自身は、head/tailがうお/おとめ。つまり今までは
ある程度、推察でリーディングしていた事を、自身の身をもって
観察することで、推察を裏付けることが可能になるチャンスが
やってきたという訳だ。

星の世界は、推測と経験がモノを言う。少なくとも、鑑定の
現場では、このふたつの要素はとても重要で。リーディングは
推察、推測から始まるけれど、それを考察、裏付けしていくのは、
日々の自身の経験がものを言う。

なにせ、推察、推測だからね。inspirationを裏付けるのは、
知識より経験と、地道な考察の積み重ねのような気がして
いるんだな。そしてこれが、やがては自分のオリジナリティに
繋がると信じているのだけれど!

そんなこんなで迎えた、このhead/tailの絶好の経験&考察&
裏付けチャンス。一言で言うと、
"おいおい、こんなに大変なことだったんかい(^^;"
っていう感想で。

まんま、あたしのhead/tailに乗ってくるまでにはまだ
ひと月かかるけど、実に興味深い流れになっている。

先日調べてみたら、head/tailは約18~19年周期で
12サインを移行している様子。つまりあたし自身は2度目の
head/tailリターンを迎えているという訳だ。で、前回のリターンの
頃のあたしはというと、18~19才。高3から浪人していた頃。

浪人時代の想い出と言えば、とある新興宗教に引っ掛かったこと(笑
それから、自分がどこにも所属していないという強烈に所在無い気持ち。
そして、ちょうど高3から浪人時代にかけて、何故かあちこちから、

"もっと自分を大切にしなさい。"とか
"あなたが本当にやりたいことは何なの?"

という問い掛けの集中砲火を浴び続けて、

"え?何? どういうこと? あたし、何を言われているの?"

と、めちゃめちゃ悩んでいたのもこの頃だった。

後々になってこの頃を思い返すと、この時期を過ぎて
短大に上がってからのあたしは、自分のタガを自分から
カチ割って、大暴れし出している。自分でも、あの頃が
自分自身のターニングポイントだったと、よく思い返す。

そして、そのきっかけとなったのが、周囲からの、

"もっと自分を大切にしなさい。"
"自分が本当にやりたいことは何?"
という問いかけの嵐。

嵐の渦中にいた当の本人は、訳も分からず、

"あたしは自分のやりたいことをやっているだけ。
どうしてみんな、そんなことを言ってくるの?!"

と、非常に混乱をしていたのだけれど。
今、こういう世界に身を置くようになって見えて
くるのは、あれがあたしの魂的本質への問いかけ
だったのではないか、ということ。

ということは、だ。
head/tailが絡んでくると、やはり、その人の魂的
存在意義、ということを試されるようなのだ。それは
言い換えれば、魂的覚醒を促される時期、とも、
魂が今回体現したがっている道への、軌道修正を
促される時期、とも捉えられる。

ここで勘違いして欲しくないのだけれど、今こうして
地球上の人間に宿った魂というのは、あくまでも、
人の肉体に宿った魂である、ということ。つまり、
人間としての肉体と、人間としての自由意志を
もって、その人の人生を表現する、という選択を
して来ているのだ、ということだ。

つまり、あくまでも、人間ライフを謳歌しながら
生きていく、ということを前提にしている、ということ。

何の制限も葛藤もなく、魂の成長だけを望むなら、
わざわざ地球上に、しかも肉体を持つために戻って
くる必要はない、ということ。だからこそ、この肉体を
持って生きていく、ということの中に、全てがある
はずなのだ。

肉体は、肉体を通して生まれてくる。そこには、
肉親という繋がりがあって、先祖から繋がる
血縁というものがあって、そこから広がる、
人間同士の繋がりというものがある。
日常というものがある。

つまり、その日常にこそ、魂が求めてきた
ものが存在する、ということ。

最近、そんな風に捉えている自分がいて。
だからこそ、当たり前にスピリチュアル、という
概念が起きてくるのだけれど。

そもそも、魂は誰にでも宿っているもの。
魂は、スピリット。スピリチュアル、ってのは、
単純に、魂的、ってこと。それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、スピリチュアルな世界、っていうのは、誰にでも
宿っている魂の話を説いているだけな訳で、何も、
特別な世界の話をしている訳ではないのだ。

あなたやあたしが、普通に生きている、その中に、
普通にスピリチュアルな世界は存在している。
だって、あなたやあたしの肉体の中に魂は存在
していて、あなたやあたしは、肉体を持って生きて
いるんだもん。当たり前にスピリチュアルな存在
なんだもん。特別なことでも何でもない。

繰り返しになるけれど、もし、魂を、何の制限も
制約も不自由もなしに成長させたいなら、わざわざ
地球に降りてくることも、肉体に宿ることもないのだ。

ただ、何かまだやり足りないことがある魂、魂として
存在することに退屈した魂がいて、その魂が、人間
という肉体を借りて、何かをやりに、表現しに、体現しに
地球に戻ってきているのが、あなたやあたし達なんだ、
ということ。

きっと、やり足りなければ、チャンスを見つけて、
何度でも舞い降りてくるのだろう。 ただし、チャートを
読み解いていくと見えてくるけど、肉体に宿れるという
チャンスを掴むって、実はもの凄いラッキーが重なって
やっと実現するんじゃないか、ってこと。

魂って、魂のやりたいことを実現するために、本当に
細かい設定をしている。その設定が、ホロスコープ
チャート上に描かれている、星の図なのだ。いつの
時代の、どの地域の、どんな先祖を持った両親の
元に生まれてくるのか。それら、魂が望んだ全ての
条件がチャートに見える時、あぁ、この人の魂は、
この瞬間に人間として地球上に飛び出してくる
ために、この人の母の胎内に宿ったんだろうなぁ、
ってつくづく思う。

それは裏を返せば、それらの条件が全て揃わない
限り、魂は、人間として地球に舞い戻るチャンスを
得ることができない、ということ。

人間として、今、ここに存在していることが、どれだけ
preciousなことか!! それこそが、スピリチュアルの
全てなんだと思う。だからこそ、今を、人として生きる
こと全てが、スピリチュアルに生きるということなんじゃないか?
なんて、あたしは思うようになりつつある。

つまり、スピリチュアルってものは、今、スピリチュアルな
世界と呼ばれている世界の中だけに存在している訳じゃ
ないのだ。むしろ、スピリチュアル、と呼ばれる世界だけに
生きるということは、人間そのものを楽しむ、という、魂が
魂としてだけ存在することに飽き足らず、肉体を選んで
降りてきたことの意義を疎かにしてしまう危険性すらあるのだ。

そして、ここ最近のあたしはチャートリーディングを通じて、
何だか富みに、そのことを考えさせられる日々が続いていた。
あたしが星の言語に通じるようになったのは、ひょっとして
このためだったのかも、って思うくらい。星の言語が知りたかった
のではなく、星の言語を学びたかったのではなく、星が教えて
くれる、叡智というものの奥に見えてくる、人間そのものの姿。

魂を宿りながら、自由意志を持って、自分を表現していく、
ということ。誰からの強制でも、何者かへ服従でも、
誰から与えられたミッションでもなく。ただただ、こう
在りたい、と願った自らの意識から全ては始まったということ。
ホロスコープチャートには、そのことを思い出す可能性を
秘めた情報が詰まっているのだ。

スピリチュアルと呼ばれる世界に精通しても、それを
表現するのは、肉体を持った存在である、あなたや
あたしであるということ。そして肉体を持って表現する
ことを選んだのも、あなたやあたし自身だという紛れも
ない事実を、チャートは鮮やかに浮かび上がらせる。

多分、恐らく、過去に何度も何度も、現在一般的に
"スピリチュアル"とカテゴライズされている世界に、
あたしは身を置いていた。それはある種、人里離れた
世界だったように思う。人としての生を全うする、
所謂人間世界からは隔離された世界。いかに
人間としての自分を超越するかに重きを置いた
世界観の中で、あたしは生きてきたのだと思う。

それは、今回のあたしの人生の、ある時点までを
振り返れば、あまりにも明白だ。人間臭くあることを
徹底的に排除されるかのような人生だった。そして
自らも、その世界に染まっていった。あたしが、母校に
居残ることを、そして、居残るからには、母校の中で
楽しく生き残れるように、と、自らを埋没させようと
意を決したことなどは、まさにその象徴だったと
思う(←傍目には、決して成功していた訳では
なかったらしいけど(笑))。

そして、その結果が、

"自分を大切にしなさい"
"本当にやりたいことは何なの?"

という針のムシロに身を置かれたかのような、
チクチクと突き刺さる問いかけの嵐だったのだった。

ここまで読んでもお分かり頂けると思うけど、過去生って、
わざわざ過去生リーディングしてもらわなくても、自らが、
"おかしい、今のままでは何かが違う"、と思い当たる
ようになり始めるまでの過去を振り返れば、自分の魂が
過去にどんな傾向を持っていたかが見えてくる。

だから、過去生リーディングで何を言われたか、という
ことよりは、その過去生と、今回の自分の人生を照らし
合わせることで、何がリンクしてくるのか、ということが
大切。お姫様だったことや、天使だったことが大切な
訳じゃない。お姫様として何を経験したのか、天使として
何がやりたくて何をやり残したのか、というストーリーと、
現在の自分の人生のテーマを、きちんと擦り合せる
ことの方が、はるかに大切なのだ。

チャートはそれを読み解く潜在的な要素を持ち合わせて
いるとあたしは解釈している。エネルギーリーディングを
している時は別として、チャートをリーディングしている
時のあたしには、別にその人の過去のビジョンが映像と
して見えている訳ではない。ただ、可能性としての、
その人の魂の過去生のストーリーを読み解いている
だけだ。

けれど、面白いことに、そうすることで、その人の人生の
ある地点までの生き様が、生き生きと浮かび上がってくる。
つまり、過去生そのもののビジョンをチャネリングしたり
しなくても、チャートをリーディングし、その人の歩いてきた
道と照らし合わせれば、その人の魂が、過去の人生で
何をしてきたのかは、自然と見えてくる、という訳。

で、あたしと言えば、先ほども言った通り、いかに人間で
ある自分から、人間的要素を排除するかで、神の世界に
近づこうと努めてきていたらしい。

そして、head/tailの指し示す通り、tailと180度逆の
今回のあたしの魂がやりたがっていることは、いかに
人間臭く生きることで、自分のスピリチュアリティを
謳歌するか、ということに尽きる。人間として生きる
ことを全うすることで、魂の喜びを表現すること。
それがあたしの今回のテーマ。それを表現するのが、
あたし自身の意志を示す、5hに入っている、ふたご座の
太陽が示すところ。つまりここでも、人生をドラマチックに
クリエイティブに謳歌すること、ということがテーマになっている。

多分、あたしは、過去の人生で、肉体を持った存在としての
心地良さを追求しなかったことへの不満や寂しさを、心残り
として抱えてきた。それを示すのが、3hに入っている
おうしの月。 あたしが小さい頃、発熱した時に繰り返し
見てうなされた夢の中で、あたしはひと気のないだだっ広い
伽藍堂の空間の中に、ただ一人ぽつんと置き去りにされていた。
それはつまり、肉体としての存在である自分を確認することの
難しい空間。

あたしにとってその夢は、恐怖以外の何ものでもなかった。

だからこそ、今回のあたしは、おうしの金星を選んで生まれて
きたのだと思う。ここにも、いかに自分の力で、自分を、自分の
人生を喜びに満ちたものにしていくのか、というテーマが
色濃く出ているのだ。

こんな風にチャートを読み解いていくと、たったこれだけの
要素からでも、自分の魂が何をやり遂げに今回この地球上に
肉体を持って生まれ、生きていくかを望んできたのかが
見えてくる。

ところがどっこい、tailの示している過去の習性とは恐ろしい
もので(笑)、あたしは再び、スピリチュアルと呼ばれる
世界の扉を開いてしまった。今回は自らの意志で、だ。
今回、というのは、前回、スピリチュアルな世界に傾倒
する直接の原因は、あたしが今回の両親を選んで、
その両親の望みによって選択された、カトリックの
学校に通学することになったことにある。

まぁね、このあたしが、その学校をお受験して、受かって
しまったのがある種の奇跡じみていて面白いんだけど。
だって、味方を変えれば、その時その学校に受かって
いなかったら、ここに至る道は閉ざされたと思うし、その時の
あたしは、お受験させられた上に、その学校に受かって通う
ことを無意識のうちにも受け入れていた、つまり、無意識の
うちにも、選択していたことになるからね(笑

そう思ってその当時のトランジットを追ってみたら、head/tailは、
見事に、natal時のhead/tailとミスティックレクタングルを
形成している。つまり、ネイタルのドラゴンヘッドにはトランジットの
ドラゴンヘッド、ネイタルのドラゴンテイルにはトランジットの
ドラゴンテイルがトラインを形成していたという訳だ(笑

なんか、こんな風にリーディングしていくと、自らの意志、
というよりは、魂が望んだ道を、魂が強引にゴーサインを
出していたような気がしないでもないけど(^^;

逆に、一見、自分自身の意志とは反する事態が起きて
いる時でも、それが魂が望んで起きている必然だからこそ、
どんな全ては必然で全てはベストなタイミングで起きている、
っていう捉え方ができるのかもね。結局どんな道であれ、
その道を歩いてきたのは他の誰でもない、この肉体を持って
生きてきた自分自身な訳であって。

歩いてきたのは自分自身なんだ、ってことを、きちんと自分で
腑に落として、例え一見不本意に見えようが、歩いてきた
道で経験してきたもの全てを、自分自身が蓄積してきた
財産として、自信に変えていくような捉えるモノの見方、
捉え方、と言うのかな?

で、前回のhead/tailリターンの頃、あたしは一度、自らが
とっぷりと浸かって生きてきた、あまりにもスピリチュアル
一辺倒な世界から抜け出すことを決意して。 紆余曲折は
あったけれど、丁度、ネイタルのhead/tailと正反対の
位置関係、つまりhead/tailがオポジション同士の関係性で
オーブ0度でconjunctionを起こしていた、トランジットの
head/tailがおとめ/うおの時期の数日間の間に、上の子
ぴよこを産み落とし。

これまた、トランジットのhead/tailがそれぞれネイタルの
head/tailにトラインを形成し、ネイタルのhead/tailと、
オーブ2度で、先ほども出てきた、ミスティックレクタングルを
形成していた時期に、下のちび達を無事出産して。

子供たちを育てる中で、猛烈な勢いで噴出してきた、
あたしはこのままでいいの?!という、自分自身への問いかけの
答えとして、再び学校に通って、占いを勉強する、という
決心をしたのが、トランジットのドラゴンヘッドが、あたしの
ネイタルの太陽に、乗って来つつあった頃で、これは
同時に、これまたオーブ0度でトランジットのhead/tailが
ネイタルのhead/tailにスクエアを形成し、つまり、二組の
head/tail同士で、グランドクロスを形成していた頃の、
選択だったことになる。

時々人生には、後で振り返ると、なんであの時、あんな
道に進むことを選んだんだろう?って思うことがあるけど、
あたしにとって、あの時期、占いを勉強することを決意
したのも、ある意味では突拍子も無い思いつきだった。
だって、それまでの人生の中で、プロの占い師になる、
なんていう選択肢は、その時期を迎えるまで、一度も
浮上しなかったのだから(笑

そして去年、janeannに逢いに行く扉が開いて、
janeannに実際に対面した頃、トランジットのhead/tailは
あたしのネイタルの太陽を頂点とした、調停のアスペクトを
形成していて。janeannに逢いに行った時期も、あたしの
中ではひとつのターニングポイントであったことを暗示
している様子。 実際、あの時mauiの空の下で日々を
共にした、新しい出会いの数々は、確実に今のあたしに
至る道しるべの数々で。

そう考えると、あの美しいmauiの日々から帰還して
再び日本の地を踏んだその日のうちに、もっとも身近な
肉親の一人と、心をズタズタに引き裂かれるような
争い事を繰り広げる展開となってしまったのも、自分
自身の魂が選んだ、ひとつの新たな道への方向転換を
促すためのものだったのかもしれない事が見えてくる。

そして今、再びhead/tailリターンを迎えて見えて
きたこと。

それは、ここ数ヶ月前から少しずつ感じ始めていた、
あたしが今回学ぶべき一番大切ことは、実は、他愛の
ない日常生活の中にこそ、あるのかもしれない、という、
新たな発見。

子供たちの成長を通して、旦那との関係性を通して、
今一緒に屋根の下で暮らす、旦那の両親の生き方を
通して見えてくる、人間というものの姿、在り方。
それらを通して試される、自分の在り方ということ。
そこにこそ、あたしの魂が求めてきたことの全てが
凝縮されているのではないか、ということ。。。

実は、以前ここでソーラーリターンの考察を繰り広げる
きっかけとなった風邪が、まだ完全には快復していない
のだ。大分症状は治まってきてはいるものの、咳だけが
しつこく残ってしまっていて。

咳でもゲップでもオナラでも嘔吐でも。何でもそうだけど、
体から噴出してくるものって、体にそれだけ何かが溜まって
いるということを教えてくれる。

今回、これだけ咳が長引くのを観察して見えてきたのは、
あたしの第5チャクラの問題なんだ、ってこと。あたしに
とっての首周りは、まさに過去生に繋がるウィークポイント
であり、そこが故障を起こしているということは、何らかの
形で過去からのエネルギーが噴出してきている、という
推測が成り立つ。

それにしてもソーラーリターンの影響だけで、これだけ
長引くとは考えにくいよなぁ、と思っていた時に、
ドラゴンヘッドがネイタルのヘッドに戻ってきつつある
ことと繋がって。

あ゛ー、この咳って、ひょっとしてこの配置にもリンクして
いる、ってこと~?って気づいたのだった。つまり、ソーラーリターン
も確かに絡んでいたのだけれど、ほぼ同時進行で、約19年振りの
head/tailリターン現象が起きていて、それは、あたしにとって、
ネイタルの、つまり1h的head/tailのエネルギーが、12h的
浄化作用のエネルギーを帯びつつ、元の1hに戻りつつある、
ということで。

いわば、魂的大掃除が行われている、ということなんだよね。
しかも、head/tailは、180度で両極に存在するペアの関係
だから、トランジットのドラゴンヘッドがネイタルのヘッドに
戻ると同時に、トランジットのテイルが、ネイタルのドラゴン
テイルに戻りつつあるという訳で。こりゃ、大掃除も大掃除。

ここ数日間の間に、にわかにあたしの身の回りで噴出している
あれやこれやの暴発の数々は、あたし自身が未整理で終わらして
しまっている、過去からの宿題、まぁ、平たく言うなら、過去カルマ
的要素を色濃く持ったトラブルの数々と捉えることが可能で。
それだけに、実に痛いトラブルの数々でもあって(泣

今日、今週の月曜日以来、ほんの数日振りに再びPTAの活動に
顔を出したのだけれど、会わずにいたたったこの数日の間に、
何故か周囲の近しい仲間があたしとの間に、見えない壁が
できてしまったかのような錯覚に陥って自分で自分に唖然と
してしまったくらい、あたしの中で、何らかのエネルギーが
ガラッとバランスを崩してしまったらしく。

きちんと今起きているトラブルに落とし前を着ける意志を
持たないでいると、何だかこの先、大変なことになっていきそうな、
そんな岐路に立っているような気がしているのだ。

そのためにも、あたし自身が何をしたいのか。
そのために、何を大切にしていかなきゃいけないのか。
何を切るべきなのか。そんな、シンプルだけれど、
究極の選択肢を、今、迫られているような気がしている。

あとひと月。ちょうど一ヶ月後に、あたしのネイタルの
head/tailにトランジットのhead/tailが乗ってくる。
その時期を、新しいhead/tail時計のスタートポイント
として設定できるように、何とかそれまでに、見通しを
つけられるようにしようと思う。

ふぅ。 このぐちゃぐちゃから、何とか、切り抜けられ
ますように。。。 そして、忘れずにいよう。この
ぐちゃぐちゃすらも、自らが望んだものを見ている
だけだということを。。。

人をみる(ーー; 追記

ホロスコープチャートのバランスシートでみると、
あたしに一番欠如しているのは"かに"的要素で。
自分でも、ほんとに、あたしは母性に欠けるよなぁ、
ってつくづく思う。母親なんだけどさ。親ばかな時は
あっても、子煩悩になれない、というか(^^;

それは、魂史上、過去に一度も母親という経験、いや、
もしかしたら親という立場すらも経験したことがないらしい
ことと、見事にリンクしていて興味深いんだけど(笑

昨日は珍しく、あー、なんか、あたし母親かもー!
って自分の中に、ちょろっと芽生えた母性らしきものに
気づいて、それもあって、覚え書き的意味も含めて
あの日記になった。

これはあたしのポリシーなんだけど、基本的に子供には、
他人の悪口になるようなことは言わないようにしている。
激しい嫁姑バトルを繰り広げていた時も、そう。
あたしと同居しているおかあさんのスタンスの違いは
教えるけど、どちらがいい、とか悪いとか、相手が悪い人で
あたしが正しい、とかっていうことは一切言わないように
務めている。

あたし自身がほぼ核家族の中で育ってきて、しかも
家庭(母)はスパルタ、学校はストイック、という逃げ場の
ない環境で長年窒息しそうになって生きてきたから、
子供たちには、小さい頃から色んな価値観の中で
甘えたり叱られたりしながら大きくなって欲しい、と
願っての同居生活スタートだった。

だからこそ、一方的に相手の存在を悪者と決めつけるような
ことは一切言わないようにしている。敵味方、正義と悪じゃない。
ただ、あなた達の親であるあたしとしては、こういう考えがあって、
あなた達には人として自立した人間になって欲しいと願うから、
こういうことはして欲しくない、とコンコンと説教をする。

だから、例えば、"おばあちゃんが何と言おうと、どうしてくれようと、
親のあたしはこういう考えだから、自分でできることは自分で
やりなさい"となる。その時に、おばあちゃんが間違ってる、とか、
そういう、相手の存在価値を批判するような伝え方をしないように
してるのだ。

ぴよこがたまーに学校からしょんぼりして帰ってきたり、妙に
苛々している時もそう。だいたい、そういう時には先生に叱られたり
友達と喧嘩して帰ってきたりなんだけど。

ぴよこから聞いている話は一方的な情報だし、相手の真意や
本心は分かりようもないけど、ぴよこを慰めつつ、なるべく
ぴよこが、相手に悪意があった訳じゃない、と思えるような
方法で相手の立場を解釈して説明して、ぴよこがその相手に
感情的なしこりを残さないように気をつけている。

酷いねー、イヤだねー、と、相手を罵ることは簡単だ。
そうやって敵味方、正義と悪でぱっきり区別して相手を
非難するやり方は手っ取り早い。

けど、小さい時からそれをやってると、その子の価値観を
狭めてしまう気がするのだ。 誰にだって相性というものが
あるし、好き嫌いがある。肌やウマが合う、合わない、も
あるだろう。その時その時の感情やタイミング、状況と
いったものまで考慮すると、相手の実像なんてものは
そうそう簡単に判断できるものじゃない。

これが、大人同士の会話だったらちょっと事情は変わって
くる。相手の価値観というものが見えてくるから、その
価値観に合わせての判断、というものも加わってくるから。
それに、相手も大人なんだから、自分で判断できるよね?
という信頼も加わるし。

けど、子供って、まだそこまで視野は広くないだろうし、
どういう人間になっていくのか、その可能性も未知の
ものだ。そんな繊細な時期に、親の価値観だけで
敵味方、正義と悪、というやり方で、子供たちの身近な
人間関係をカテゴライズさせるのは、あたしはどうかと
思うのだ。

第一、親が敵だ、悪だ、と決めつけた相手と、付き合って
いかなくちゃいけないのは子供たちだ。その葛藤や、親が
悪い人、悪い子、と決めることによって、すのまま素直に
相手を"ワルイヒト"とラベル張りしてしまうことの怖さ。

だから、昨日の一件はあったけど、あたしは担任の
悪口となるようなことは、子供たちの耳に入れようとは
思わない。例え、子供をかばっても、かばうやり方は、
相手が悪い人だから、というやり方にはしないつもり。

この姿勢を貫いてきて良かったのかもなー、と感じた
ことが以前あった。

ぴよこがまだ幼稚園生だった頃、何かの拍子にぴよこが
ぽろっと、

"おばあちゃんとまーちゃんは、タイプが違うんだよねぇ"

というような意味のことを言ったのだ。

それはまだ、嫁姑の溝が表面化する以前のことで、
あたしもまだ、同居を始めたばかりの、あたしとは
正反対でとても子煩悩な"先輩ママ"であるお姑さんに
畏敬の念と遠慮があった手前、自分のやり方というものを
自信を持って通さず、お姑さんのペースに合わせて上手く
大人な態度でやっていた頃のことだった。

けど、同居を始めた頃、すでにぴよこは4才。それまでの
日々のほとんどを、あたしと旦那にひっついて生きてきた
から、あたしのやり方というものを、肌で感じていたの
だろう。一緒に暮らし始めたおばあちゃんが、何か母親と
違う、ってことを、敏感に察知したのだと思う。

その観察力の鋭さに、はっとする思いをしたのと同時に、
それでいい、って思った。

タイプが違うだけなんだよね。
どっちがいい、悪い、とかじゃなく。どっちが正しい、
間違ってる、とかじゃなく。 ただ、単純にやり方が違う。
まずはそれでいいんじゃないか、って。

もちろん、人として、嘘をつくこと、盗むこと、傷付けること、
命を殺めることは、絶対やっちゃいけない、って日々、諭しては
いる。

嘘をついたり、傷つけたりは、絶対やっちゃだめ、って
言ったって、生きてる以上、どうしてもやむを得ないことも
あるかもしれない。あたしも厳しく叱るし、叱られたくない
一心で、子供たちも嘘をつくことも日々あって(^^;

でも、例えやってしまったとしても、少なくとも、これを
やらないように心がけることは、自分を自分で信じるに
値する人になる、という上でも大切な力になってくれる
筈だから、やっちゃだめ、って口を酸っぱくするくらい、
何度も何度も言い聞かせている。

けど、これらの、最低限、人としての尊厳を保つこと
以外のことで、敵味方、正義と悪、なんていう枠を
親が押し付けるのはどうかと、あたしは思うから。
むしろ、そうせざるを得ない相手の立場や心境を
少なくとも想像し、更に望むなら、思いやれるような
ゆとりを残した人になって欲しい、と思うから。

今日の面談で、何を言われるか、あたしはそれを
どう捉えるか、そこで何を相手に伝えるか。伝えずに
言葉を飲み込むのかは分からないけど。

まだしっかりと自分の価値観を持っていない子供たちに、
"あの先生、いやな人だねー" という伝え方だけは
しないよう、気をつけていたいと思う。

自戒の念を込めて。

人をみる(ーー;

といっても、予めお断りしておきますが、あたしの
仕事の話ではなく。 ちび達にまつわる子育てに関する
話題です。

****************

昨日に引き続き、今日も上の子ぴよこの学校のPTA活動。
午前も午後も学校に入り浸っていました。

で、途中、久々に、気の合うママさん達と、ランチブレイク。
その足で、ちび達のお迎えに行ってきた時のこと。

ちび達のクラスの子供たちがなかなか出てこなくて、
園庭に並ぶことができず、ちび達の下駄箱の側の
壁際に立って待ってました。

ようやくちょろちょろとちび達のクラスの子供たちが
下駄箱に降りてきて、やもちゃん1号2号の顔を
確認。やれやれ、と安堵していたところに、同じ
クラスの女の子がちょこちょこっと駆け寄ってきて、

"きょうねー、やもちゃん1号ちゃんと2号ちゃん、
先生にたくさんたくさんしかられちゃったんだよー!!"

って教えてくれたのです。

"えー、そうなの~?! なんか悪いことしちゃったんだねー"

と答えて、でも、とりあえずお帰りの列に並ばせるのが
先だわ、と思い、特にちび達を問いただすこともなく、
そのままクラスの列に並びにいったのでした。

で、担任の先生から連絡事項と、その日の報告。
どうやら今日は、研修の若い先生がクラスに参加して、
子供たちに紙芝居を読んでくれたらしい。

"実習生の先生が紙芝居を読んでくれたんですが、
普段ならきちんとお行儀良くできるのに、一部で
大ふざけしちゃう子供たちがいまして。。。
なんて言いますか。。。嫌な言い方しちゃうと、
人を見るっていうか。。。"

"ちゃんとどんな時でも、けじめを持てることができるよう、
保護者の方でもご指導もよろしくお願いします。"

ってな具合。

その、"嫌な言い方しちゃうと、人を見るっていうか。。。"
っていう言い方が、いかにも、いやーなニュアンスで、
うわぁ、さっきの女の子が教えてくれたのはこのこと
だったか、と内心あっちゃー、だったんだけど。

でも、同時に子供たちに対して、"人のことを見るというか"
と言いながら、まるで大人が人を見て態度を変えることの
イヤらしさを訴えるかのような表情でそんな感想をもらす
担任に漠然と違和感を覚えていたら、よっぽど怒り心頭
だったのか、担任の先生、追い討ちをかけるかのように、

"あの辺の子供たちがー" 

と言いながら、うちのちび達もいる辺りをぐるぐると
指さしたのである。で、親であるあたしの顔なんか
直視しないし、目も合せようとしない。明日はちび達の
面談があるのだ。

ちっ。 明日もお小言喰らうな。 と一寸、落ち込む。

が、その後、猛烈に腹が立ってきた。
子供は人を見るさ。 見て、素直な反応を示すよ。
けど、それが子供の自然な姿じゃないかい?
あたしに叱られて所在がなくなると、さっと
おばあちゃんの部屋に駆け込んで、甘えてくる。
子供が人を見る、ってそういうことだよね?

担任の先生がぐるぐる指を指した辺りは男の子たちの
集団で、若い研修の先生が来たら、そりゃー喜びも
ひとしおだろ。それも、年端も行かない、大人と同じ
生々しい尺度と計算で人を見ることを知らない子供に、
はしゃぐな、という方が無理なんじゃないかと。

むしろ、大人の尺度で人を見てるなら、絶対今はしゃいだら
この先生にこっぴどく叱られるぞ、先生、顔引きつってるし、
今は黙っていた方が身のためだ、って計算できるはずなのだ。
そういうのが、"人を見る"って、顔をしかめたくなる態度だろう。

言いたくないが、やもちゃんzに関しては、四六時中一緒にいて
ここまでこの子たちを育ててきたあたしだって、ひーひー言い
ながら相当手こずった。ぴよ子の時とは全然訳が違ったのだ。
第一に、単純に物理的に一挙に1人から3人になっちゃったし、
それが男の子たちだった上に、一卵性の双子と言っても、見事に
個性も成長のスピードも違ったから。

ひっぴーだよぉん、とかヘラヘラしているけど、あたし自身は
相当なスパルタ教育されたクチで、それがイヤだったから
自分が育てられた時より、かなり手加減はしているつもり。
叱る時にも筋は通してるつもりだし。それでも一般的な
親よりは、躾けには口うるさいし、自分でも厳しい親だと思う。
それだけ頑張って躾けしても、今の状態。親も子供も、
精一杯やってきたつもり。

でも、うちの子たちは、クラスの他の子供たちに比べて
まだまだ幼い、というのが先生の所見らしい。

だけどさー。つきっきりで育ててきたあたしだって手こずって
来たのに。 一度に30人近い子供たちを預かっている先生に、
うちの子たち2人とも、いっぺんに担当する方が至難の業
なんだと思うんだよね。

恐らくは、園側も、うちの子たちに手こずることを見越しての
ことだろう、年少の時も、今年も、学年主任が担任を務める
クラスに入れている。 学年主任ともなると、それなりの
実務経験があるベテランさん。ベテランさんに任せた方が、
というのが園の方針なんだろう。

けど、結局学年主任って、忙しいんだよね。クラスに専念
できる訳じゃない。クラスを受け持ちながら、他にも山ほど
やらなきゃいけない仕事を抱えているらしく。ベテランかも
しれないけど、クラスの子供たちとずーっと一緒にいて
くれる訳じゃないんだよね。

つきっきりで厳しく躾けてきた親のあたしですら、大変
だったのに、子供たちをわんさか抱えて、しかもクラスに
専念できない先生に、うちのちび達を指導する、っていう
方が無理があるんでないかい?

そもそも、園児を掴まえて、"人を見る"なんていう捉え方する
人に、そして、暗にうちの子たちも含め、って、クラス中の
保護者が揃う前で言い放つ先生に、うちの子達を任せていて
いいんだろうか?!

そんなことをツラツラと考えて、珍しく園に対して怒りが
湧いてきた。

あたしは、育児コンプレックスを持つ母に育てられたし、
そんな母に育てられたこともあって、あたし自身も、胸張って
育児してきた訳じゃない。園に預けるのだって、ちび達が
どれ程先生方にご迷惑をおかけしているかと想像する
だけで申し訳なく、忍びないくらいに思ってきた。

だけど。 今日思ったのだ。
沢山の子供たちを預かれる人が、必ずしも一人一人の
子供に適切な指導ができる器を持っている訳じゃないの
かもしれない、って。

あたしはどちらかというと、一対一なら得意なのかも。
下のちび達も、一人一人相手にする時には、二人
一辺より数段余裕を持って構えていられる。
そんなんだから、園で、わらわらする子供達を
一手に引き受けるだけの器がある先生方は
あたしにとって、畏敬の念に値する存在だった。

けど。 そんな先生でも、集団からはみ出して
しまう子供を、その子供の成長に合わせて見守る、
ってのは、難しいんだなぁ、って。

そりゃ、お互い、生身の人間だし。 得意不得意もあれば、
頭に来る時もあるのは百も承知。

けどさ。
まだ6歳にもならない子供掴まえて、"人を見る"って
人前で卑しめる、ってどうかな、と。そういう発想で
子供たちを見る貴女は、どうなんですか?と。

で、今までは、うちの子たちがご迷惑をおかけして
申し訳ない、っていう気持ちで通わせていたけど、
さっき、完全に意識が変わった。こんな人にうちの子たち、
任せていられない。あたしがちゃんと守っていかなきゃ、って。

ぴよこの通う学校にしてもそうだけど、えー? まじで?
って思うような人もいる。 子供を預けておいていいのかな、
って心配になる。

けど。 だからといって、そういう人がいない環境の中で
純粋培養するのも、ちょっと怖いよね。世の中には、
色んな人がいる、ってこと、小さい頃から理解して
おくことも大切だと思うから。 大切なのは、親として、
親の信じる価値観を子供たちに伝えていくことなの
かもしれない。

大人になって、その価値観の中で生きていくのも
その価値観を捨てて生きていくのも、それはその子の
自由。

ただ、親として、"人としてどーよ?"という人から、
子供たちを守るためにも、親としての価値観や
倫理観を提示し続けることは必要なのかなぁ、って
今日、思った。がんばろーっと。

はい。親も、人を見てますからー!

ちょっぴりおセンチ。

ちび達を園に送り届けて。
少し、体力を温存しようと、バスに乗って戻ってきた(笑)

特別に何があった、という訳でもないけれど。
あれこれ頭の中でぐるぐると想いが駆け巡る。

人はみんな、自分の魂の選んだ環境に生まれ、
育まれ、生きていく。

傷つくことすら、自らの魂が選んだこと。
だからみんな、傷つきながら、生きている。
みんな、みんな。

傷つけたくなくても、傷をつけてしまう。
愛する人を。 どうでもいい人を。
傷つくのが恐くても、傷ついてしまう。
愛する人によって。 どうでもいい人によって。

みんな、みんな。
必死に、生きている。

それが人間に生まれたということ。
人として、この地球に生きることを選んだということ。

そうやって傷つきながら、愛することを学ぶのかな?
これが人間のやり方、学び方なんだろうなぁ。

本当は、みんな知っているのにね。
傷つけ、傷つけられながら学ばなくても、
みんな、愛から生まれ、愛に戻っていくことを。
みんな、愛なんだってことを。

本当は知っているのに。
人間って、切ないね、愛おしいね。

両親に感謝、子供たちに感謝。
今まで出会った人、全てに感謝。

みんな、みんな、ありがとう。
人間ライフ、エンジョイしようね(^^*

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チャートを知ることは、人を、魂を、知ること。
星の言語は、色んなことを理解させてくれる。
あたしは、その言語の通訳者なのかもなぁ。

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さぁ、じゃぶじゃぶと脳みその洗濯をしたところで、
久々に行ってくるぞ、PTA活動~!!!(笑