phoebe's psychedelia -70ページ目

し、しまった。。。 第2チャクラのトラブル!

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数週間前から嫌な感じはしていたんだけど。

ここ数日で、とてーもとてーも、気配が濃くなってきた。

膀胱炎になりそうなんだよぉ(泣

以前、2年くらい前にも一度膀胱炎やったことあって、
あまりにも辛くて婦人科に駆け込んで抗生物質を
処方してもらった。

けど、膀胱炎で抗生物質摂ると、後遺症が出るのよね、
治った後に、強烈なカユミに襲われて、それを治すのに
また別の薬が処方される。だからなるべく抗生物質に
頼ることになってしまう前に治してしまいたいのよ!!

あたしの場合、どうも強いストレスが原因と思われ。
前回も、家庭内がゴタついていた年に発症しちゃったし、
今回も、数週間前から、なんとなくそうなんじゃないか、
とは思っていたのが、ここ数日間で、蓋をしていたストレスを
一挙に浮上させたのと同時に症状が悪化しつつあるので、
やっぱりなぁ、と。

前回、当時抱えていたゴタゴタが原因で膀胱炎に
なってしまった時に、お姑さんに、いくらストレスからだと思う、
って説明しても、我慢しないですぐにおトイレに行かないと、
って一笑に付されてしっまったんだけど、これで身をもって
立証できた(苦笑)

まぁ、でも、そんなことより、どうやってこの状態を悪化させずに
治していくかの方が遥かに大切な訳で。 今朝、何だかよく
分からないけど、直感的にこれ、って思ったので、以前買って
おいたウコン茶のティーバックを煮出して、飲んでみた。
気のせいかもしれないけど、なんとなく症状が緩和した
感じ♪

ネットで調べたら、水分をこまめに摂るよう書いてあったので、
今日は出かけ先まで、ウコン茶を水筒に入れて持っていって、
ちょこちょこ飲んでました。

あ~、このまま自力で完治させたいよー!!

ところで、体に不調が出たので、学校に通って占いを
学んでいた当時に出逢って、それ以来ずーっと愛読して
いる、"7つのチャクラ"(キャロライン・メイス著/サンマーク出版)
で、第2チャクラの部分を読み直してみた。

今膀胱炎になりそうな、この第2チャクラに対応する部位が、
実は先日の戦争勃発~膠着状態のまま冷戦に戻ってしまった
日に、お姑さんとの言い合い直後から原因不明の腹痛に
襲われた部位で、どうも相当に第2チャクラ的問題に直面
しているんだなぁ、という感触があるのだ。

(因みにこの本は、あたしに、ものごとを象徴的に捉える、という
視点のヒントを与えてくれた本で、ただ単に、暗記した
知識を元に、記号を読み解く占いというレベルから、
今のシャーマニックなリーディングスタイルに脱皮する
きっかけを作ってくれたと言っても過言ではない。
何度でも読み返してみては、その時々の自分に合わせた
新しい発見をさせてもらっている、あたしにとっては
いわば、バイブル的な本なのです。)

以下、抜粋

****************

"象徴的に見ると、このような相克は、ほとんどの場合、
その人の神との関係を表している。自分の力か、神なる
ものの力か? 神なるものは、本当に地上で自分とともに
いてくれるのか、それともすべてを自分自身でコントロール
していかなければならないのか? そして、たとえ神なるものの
力が背後ですべてを操っているのだとしても、何を選択
すべきかをどうして知ることができるのか。信ずる心の
ゆらぎを示す、この根本的な相克は、すべての人間関係に
見られる。"

"矛盾するようだが、このような対立するエネルギーを
うまく操っていこうとする仮定で直面する課題とは、宇宙は
本質的にひとつであるという意識のなかにこれを置くという
ことなのである。私たちは、まず人間関係の中になる対立を
探ることからこの旅を始める。関係は対立を生み出し、
対立は選択を生み、選択は動きをつくり出し、その動きが
さらに対立をつくり出していく。 この二面性を超越し、
自分と他人、また自分と神のあいだに存在するように
見える分離を超越するような選択をすることで、私たちは
この循環から抜け出すことができる、 ほかの人間を操ろうと
することばかりに焦点を合わせ、その人が実は自分自身の
資質をそのまま映し出していることを忘れているかぎり、
私たちは内面にある対立をそのまま残すことになる。
しかし、自分とほかの人を、つながりを持つ人間同士
として象徴的に見ることができれば、両者の違いを
融合するのに役立つ。"

*********************

むひ~。
まんま、あたしが今直面している問題じゃん(^^;

でもって、つい昨日も庭に出てぼーっと考えていたんだ。
魂は、自分の意志と、掴んだチャンスだけで地球に
降りて来るんだろうか。それとも、そこに神(あるいは
大いなる力、宇宙の力?)の意志の介入がないと、
魂の自力だけでは、なし得ないことなんだろうか?

なんてね。。。

面白いなぁ。

昨日、海でグリッドを組んで来たのだけれど、
延々3時間以上かけて、どんどんグリッドを動かして
行ったんだよね。



その時考えていたことは、今現在の自分と、今回
この地球に至るまでの自分と、将来的にこういう風に
生きていたい、と思う未来の自分像を、全部融合
させて、現在の自分に落とし込みたい!という
ことだった。

そうしたら、自然と、グリッドが渦巻き状のものに
なって行ったんだよね。つまり、グリッド上に、
螺旋状の動きのエネルギーが生じたというわけ。

上に書き出した、

> まず人間関係の中になる対立を探ることから
> この旅を始める。関係は対立を生み出し、
> 対立は選択を生み、選択は動きをつくり出し、
> その動きがさらに対立をつくり出していく。 
> この二面性を超越し

なんか、まさにここの部分に重なる感じ!!

おかしな表現かもしれないけど、あたし、
大丈夫な気がする(笑)

だって、こうもちゃんと全て綺麗に繋がっているんだもん。
今回の体調不良にしたって、やっぱり体が素直に今の
あたしの現状に反応してくれている証、って捉えれば、
びっくりすることでも、悲観することでもない。逆に、
今あたしが向き合っている課題のテーマは見当違いじゃ
なかったんだ、って立証してくれているようなもの!!

大丈夫、すべては起こるべくして起きてる。
ベストなタイミングで起きてる。

だから、すべてに感謝。
ありがとう(^^*

***********

top画像は、本日夕方目撃した彩雲~♪
7月に下田に遊びに行った時、人生で初めての生彩雲を
目撃したから、今年はこれで2回目なの~♪
うふふ。この喜びを、お裾分けでございます(^^)

ps. 昨日のグリッド話は、画像なんかと一緒にまた改めて
レポートします~、のつもりです~(笑)

続・バトルの最中に。 風のサイン/水のサイン

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なんとなく、見えてきたこと。

つまりは、共感能力、ということなのかもしれない。

***************

良くも悪くも、あたしは思考型人間で、起こることを、
ただ起こっていることとして受け入れるのが苦手。

それは、幼いころから、"異邦人"として、なんとか
周囲を理解して、上手にやっていくために身につけた、
いわば、防衛本能の成せる業だったのかもしれない。
理不尽(と、その時自分では感じること(笑))を、
なんとか自分なりに理解するために、自分を、相手を、
とにかくまず、自分なりに理解しようとすることから
始める癖、パターン。

これは、人間関係には非常に有効なのだけれど、
限界がある。ある程度距離を保てる人間関係においては
素晴らしいツールなんだけど、同じ屋根の下暮らす間柄に
おいては、限界があるらしい、ということに気づき始めた。

あたしの場合、一生懸命相手を理解しようとすればする程、
相手とあたしがどれだけ違うのか、ということの浮き彫りの
作業になっていく。例えば子供たちの園や小学校を通した
人間関係や、自分の仕事先での人間関係なんかには、
これは非常に有効に使える。

例えば、
しゃーないよなぁ、あたし、団体に所属するの苦手だし。
とか、
どうしてこの人、最上段(剣道用語です(笑))からの構えでしか、
相手に向き合えないんだろう?
とか。

なんか、そういう分析、線引きしながら、自分の気持ちを
なだめてみたり、不安を解消したり、相手との接し方を
練ってみたりしている訳です。

でもって、普通に、これを家庭においてもやっているのね。

あ~、この人はきっと、こういう背景で育ったからこうなんだ、
とか、
きっとこの人は、こういうことが過去にあったから、今こうなって
いるんだ、
とか、
この人の口癖はこうだけど、それはきっと裏を返せば、
こういうメッセージなんだろなぁ、
とか。

これ、平常時には、結構有効に使えるんだけどね。
結局これやってると、今回みたいに、非常事態に至った時に、
自分で自分を孤立させることに至ることに気づいたのだ。

つまり、非常事態において、あたしとあなたは違うから。
っていう事実を突き詰めていったところで、何も解消しない、
ということ。

あたしとあなたは違うから。
は、緊急避難的に、自分を楽にしてくれるかもしれない。
あたしは、あなたと違うから、そういう考えや、そういう行動は
とれないよ、って。けど、それは同時に、自分を正当化して、
相手を非難する視点にも繋がる危険性を孕む。

一触即発の緊急時において、これは相手の攻撃から
自分をガードする為には使えるけど、長期的に、永続的な
関係性を築くステージにおいては、逆に、自分と相手の
間にある壁を、余計に強化してしまう危険性を孕むんだな、
ということ。

なんか、イスラエルがこの時代、この期に及んでなお、
東西ドイツ時代の再来かい?!、ってな具合で壁を打ち
立ててしまうといった強硬手段にうって出た行為に通じる
ものがあるよなぁ~。

ぐぅ。 そうだったのねぇ。。。
相手を理解しようとすることが唯一絶対な手段ではなく、
理解するだけじゃ、解決しないこともあるのねぇ。。。
なーんて。ひょっとして、みんなこんなこと、当たり前に
知っているのかな(^^;;;

まぁ、ここはあくまでもあたし個人の発見を書き記して
いる場だし、いいの、いいの、あたしが気づくことが
大切なの(笑)

で。
理解することから生じる、自分と相手の境界線を乗り越える
可能性が、冒頭に書いた、"共感能力"の中に潜んでいる
のかなぁ、って。

*************

ここからは一挙に星の言語を借りて解釈(笑)

あたしのチャートに一番足りていない要素、
かに。

この、あたしに足りない要素を考えてみることが
ヒントになった。

以前にも、ここでかに考察はしてみたから
話はかぶってしまうかもしれないけれど、あたしの中では、
今日はちょっと別の角度から。

あの時は、

> かに→テーマは感情かぁ。。。

> はっ。 あたしに欠落している「感情」、emotion。
> あたしは、ヘッド/テイルがうおとおとめで、やはり
> 「感情」、emotionがテーマ。

ここから、かに考察に入って、emotion[感情]という
ところから発展させて、水のサインは[ハート]という鍵を
握っている、と結論付けたのだけれど。

かには水のサイン。
水のサインのもうひとつの鍵は、"共感"能力なんだよね。

ここでもう一度サインの4区分のおさらいをしておくと、
おひつじから始まる12サインは、順に、
火→地→風→水
というサイクルで成長していく。

チャートが美しいのは、人が成長していくサイクルを、
見事にこの12サインの流れで示してくれる所に
あると思っているのだけれど、つまり、時間の
流れが一直線じゃないんだよね。ぐるぐると
円を巡ってゆっくり上昇していく、螺旋階段状の
成長サイクルになっているのだ。

理解(風)で止まってしまっているなら、その壁を
乗り越えるためには、相手に"共感"(水)することなのかも。
それがあたしに不足しているかにを学ぶことだし、
ひいては、あたしのドラゴンヘッドである、うおを
学ぶことにもなっていく。

あたしのドラゴンテイルが入っているのはおとめ。
おとめは地のサインで柔軟宮だけど、もうひとつの
要素として、水星が支配星、という特徴が挙げられる。
あたしがついつい無意識に使っている、思考モードは、
だから多分、ふたごの太陽、水星と、8ハウスに集中
している、おとめの天体群だと思うのだけれど。

理解の壁の突破口となってくれるのが、風の次の
段階の水なのではないか、と。思考=マインドの次は
感情=エモーション=共感能力で、つまりはハート!!

元々水っ気が不足しているあたしは、けれど多分、
どこかで水を恐れてる。自分を失うかもしれない、
ということに極端に反応してしまう。他者と混じり合う
ことは、自分を見失うこと、つまり、自分を消失して
しまうこと。それが怖くて、他者と自分の境界線を
明確にさせることに必死になってしまうのかもしれない。
それなら、そこが、現在のあたしのハートの限界ということ。。?

この、ハートの限界のスタート地点(あたしの場合は
おとめのドラゴンテイルの地点にあたる訳だけれど)に
ようやく辿り着けたということはきっと、あたしにとっての
ドラゴンヘッドで、水の成長サイクルの最終地点であり
おひつじから始まる、12サインの成長サイクルの最終局面
でもあるうおの地点、~つまり他者と共感して、他者の全てを許し
受け入れ、自分も他者に溶け込んで、終わっていくと同時に、
次なるスタートへの予感を孕む~、という次元にまで辿り着ける
のには、まだまだ、この先、軽く一生分は時間がかかって
しまいそうな気がしないでもない。

でも、少し前に書いた、ドラゴンヘッド/テイルの考察
通り、やっぱり、来るべきものが来たんだな、という
実感。つまり、魂的、大きな軌道修正。19年前の
"自分を大切に、本当にやりたいことをやりなさい"
というメッセージに続き、今度は、"本当に、いつまでも
今のそのやり方でいいの?"というメッセージが、ピシピシと
届いていたから。ここ1~2年で特に、もう今のやり方での
限界が見えてきつつあったから。

いきなりうおに辿り着くのは難しいかもしれないけど、
裏テーマにかにが沢山来ているこの時期だから、まず
かにのひとつの大きなテーマである、"家族"という
ところから取りかかってみようと思う。

あなたとあたしは違うから、という視点で、どんどん
孤立していくのではなく。同じ屋根の下暮らす家族
として。相手に共感を示して、自分の懐に迎え入れる、
ということ。

できるできないは、また次の次元。とりあえず、
そこを目指すことを受け入れてみようと思う。

*************

それにしてもあたしの理解では、水への恐怖=
アトランティスの記憶の残像のイメージなんだけど、
まさか、あたし自身にまで、こういう形で出てくるとはねぇ。。

今更だけれど、GWに参加したワークショップ
no.1no.2で選んでしまった、あの、どでかい
トライゴーニックや、ごっついぶっかきスマトラ
アンダーラの意味が、ここに来てようやくちょっと
見えてきた感じ。

アトランティスとかレムリアとか、なんか遠い
世界のことだし、なんか浮世離れしていて現実味
ない話だし、あり得る話かもしれないけれど、
あたしには関係ない、って思ってここまできたけど。
スピリチュアルと呼ばれる世界に改めて足を踏み
入れてから既に数年経つ今、そろそろ一度、人ごとな
知識としてでなく、自分の身にもあったことかも、
自分の過去にも関係したことなのかも、という視点で
捉え直して、向き合ってみる時が来ているのかも。

ところで、風サインの対向宮は、火のサイン。
地のサインの対向宮は、水のサイン。

あたしの太陽であるふたごの対向宮はいて。
ドラゴンテイルが入っているおとめの対向宮が、うお。
ふたごを意識することは、いてを理解することに
繋がって、おとめを見直すことが、うおへのベクトル
となる可能性を秘めている。

でもって、これってそのまんま、今あたしが取り組んで
いる柔軟宮同士のグランドクロスワークの、4つの頂点
そのまんまの組み合わせだぞ!!

そりゃ、ハードな出方もする訳よね(^^;;

けど、幸いなことに、この時期、こうしてかにを
学習するということは、おとめ/うお軸に対して、
かにが作ってくれる調停のアスペクトの力を
借りられるということ!

ますます、本腰を入れていかないとね!
がんばろう、かに、水ワーク(笑)

バトルの最中に。 追記。→禁断の画像追加!(笑)

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のほほ。
とうとう、吐露しちゃいましたけども。
まぁ、あたしも色々とダークサイドを抱えている訳で。
自分でそれを浄化&昇華していきたくて、じたばたと
もがいている訳です。いもむしちゃんみたいにね(笑

で、追記だけど、この間 プログレスチャートと
ソーラーアークチャートを出してみて、思わず苦笑
しちゃったんだよね。

プログレス上では、今あたしの月はおとめに入ってる。
これはもう2年前くらいから始まっていたので、
何かと毛羽立ち気味なハートは、きっとこのおとめを
学んでいる最中だから、と理解はしていた。

が、久々にソーラーアークを出してみたら、なんと
月がかにに滞在中だったんである!! もろ、家族が
裏テーマとして持ち上がっていたんだよね(笑
あたしは元々ネイタルにかにの要素が皆無で、
こうして外部からの刺激が起きないと、なかなか
学習できないのよ(^^;;; そして、こうして実際
学習する場面を迎えて、あたふたとパニックを
起こしているという訳(笑

そんな訳で、全然、今のカオスも、降って来た
火の粉なんかじゃない、ってことは納得しているんだ。
チャートが読めると、こういうのが理解できて、
ちょっと気が楽になるよね。

勉強すべき時に、ちゃんと勉強すべきテーマが
用意されている。ただそれだけのこと。そのテーマを
自分でどう調理するかは、その人の自由意志に
関わることで、星は関与しない、強制もしないけど。

まぁ、少なくとも、あたし自身はやっぱり星からの
メッセージをリーディングできる能力を身につける
ことができたのは、とても身を助けてくれてる。
それだけは確か(^^*

ご心配して下さった方、ひょっとしたらいらっしゃるかも
しれないけれど、大丈夫です、宿題頑張ってるだけだから(笑
見守っていてくれて、どうもありがとう☆

そして、直接セッションを受ける機会がない方にも、
このブログを通して、ご自身の身に起きていること、
今抱えている問題も、大丈夫、起こるべくして起こることが
起きているだけなんだ、って、ちょっとでも安心して頂ける
判断材料になればな、って思っています。

愛を込めて、 wakaxxx


ps

と、綺麗にまとめてみましたが、自分で書いた
"いもむしちゃんみたいに"というフレーズで
めちゃめちゃ海王星アンテナが反応しちゃって(笑

ついつい作っちゃいました、いもむし画像。
まぁ、ご愛嬌ということで♪













Nyakki


笑っていこうぜ~(^ー^)

バトルの最中に。 8ハウス&おとめの考察

いやぁ、まいった、まいった。
一昨年の秋口に勃発した嫁姑問題を、
去年の5月、maui帰国直後に終了させたんですけどね。

その後、ちょろちょろとくすぶっていた火種が、
また再燃しちゃいました。戦争をけしかけちゃったよ。。。

ほんとにあたしは、何か心に荷物を抱えている時って、
表に出せなくて、今回も、ブログを更新しなくちゃ、しなくちゃ、
と思いつつ、PCに向かってはみても、全然ブログに手が
つけられなくて。

喧嘩両成敗というし、あたしはその言葉を信じているし、
ましてや、相手あってのことなので、詳細は割愛するけれど、
色々と思うこともあり、やはり書き残しておこうと思う。

少し前、旦那もめちゃめちゃ仕事が忙しくて、家庭の
ことにまるっきり気が回せない時期が続き、あたしは
家族の中で一人、孤立してしまった時があった。

どうして、家族の中で、こんなにも孤独なんだろう?
と振り返った時、家族の中で感じる孤独感を、初めて
味わったわけではなかったことを思い出した。思春期の
頃から、あたしはずーっと実家の家庭で、孤独感を
味わっていたのだ。

どうして、この人たちと言葉が、心が通じ合わない
のだろう?どうしてこの人たちは、自分が想い描く
以外の幸せが、自分の知っている以外の幸せの形が
あることを理解しないのだろう?否定するのだろう?
どうして、家族なのに、同じ世界を共有できないのだろう?
それが、あたしが実家で抱いていた、家族への気持ち
だった。

そして、家族だからといって、必ずしも価値観を
共有できないこともある、と半ば諦め、とても
ショックを受け、そこから飛び出して、自分で
自分の選んだ人と生活を共にしよう、と選んだ
相手が今の旦那だった。

そのことに思い当たった時、ふと自分のチャートが
頭をよぎった。あたし、ドラゴンテイルと、冥王星、
天王星、木星、全部、8ハウスに入っているじゃん?!
8ハウスが婚家での問題を表す、って、このこと
なんじゃん!!って。

婚家での問題、つまり、自分のではなく、相手の
テリトリー内で起こり得る事象ということ。
そっかぁ、それなら納得だよね。だって、確かに
冥王星ちっく(結婚後、再びスピな世界に舞い戻ったり、
亡くなる直前、旦那のおばあちゃんが、こともあろうに
あたしに交信してきて、あたしはその時生まれて初めて、
本当に目に見えない世界がある、と受け入れざるを
得なくなってしまったり!)であり、天王星ちっく(子供を
授かったり、双子を授かったり、全て驚きの連続)であり、
木星ちっく(核世帯だったのに、いきなり3世代2世帯の
大家族になっちゃう、同居当初は4世代で同居だった(笑))
でもあり、ドラゴンテイルちっく(これは後で詳しく書くけど、
どうもお姑さんとも、過去カルマ絡みな感じがしつつあるから(^^;;))
であり。

そっかぁ、これが8ハウスの言うところの、嫁ぎ先で
起こり得る出来事なのかぁ、ってしみじみ。そして、
これがドラゴンテイルの示すところの、過去カルマ
絡みなのだとしたら、幼い頃からあたしがずーっと
抱えていた"自分はどこにいても異邦人"コンプレックスも、
きっとここに繋がっていて、だからこそ、つまり、
今回の生に繋がるどこかの生で、"異邦人"として
過ごしていた自分がいて。

その課題をフィニッシュできなかったからこそ、今回も、
人生の初頭の段階から今に至るまで、同じ家族同士なのに、
同窓生なのに、同じ国民なのに、通じ合えないという歯痒さ、
寂しさ、切なさ、分かり合えないという腹立だしさ、恐怖心、
不安。それど同時に裏を返して、あたしはあたし、あなたは
あなた、干渉しないから、あたしにも干渉しないで、という
一種の高慢さが、ずーっとテーマとしてつきまとってきたの
だろう。

相手と深く理解し合いたいという欲求は、さそり座が
対応する8ハウスのテーマそのもの。一方で、相手と
自分をきっちりカテゴリー分けして区分したいのが
おとめの気質。8ハウスがおとめのあたしはつまり、
深く理解し合いたくなるステージ上で、自分は自分、
というアイデンティティを確立することから、始め
なくてはならない運命を、始めから選んできていた、
ということ。

だから、実家の家族の中でも葛藤したし、学生時代も
ずーっとこの葛藤を抱えてきたし、今、こうして自分が
選んだ伴侶と新しい家族を形成しつつある上でも、同じ
ことがテーマとして浮上しつつあるのだろう。

太陽ふたごのあたしは、スクエア関係にあるおとめに
苦手意識大で、自分もおとめ群を沢山持っているにも
関わらず、どうしても今までイマイチおとめに深く
入り込めずにいたのだけれど。今日、そうか、と
気づいたのは、かにで一度、家族という縛りに
引き戻される魂は、故郷に錦を飾る的な、言い換えれば
身内受け的なししのステージ上でスポットライトを
浴びる。

けれど、やはりししレベルの賞賛は、身内レベル、
広く世界に訴えて出るためには、身内以外の第三者の
視点が必要になってくる。そこで、てんびんの地点で
初めて、身内というステージから、社会というステージに
飛び出して行くのだけれど、おとめの地点では、
身内の人々と自分の区別化を図ることをするのでは
ないだろうか。

そこで他者との区別化を図る、という、客観的な
視点を自分の中で持つことで、初めて"わたしは、
あなたとは違うこういう人間なのである"と気づき、
その己を持って初めて、広い世界に飛び立つのが
可能になるのではないか。

だからおとめは観察者なんだよね。自分と他者の
違いに敏感で、時に過敏過ぎて、相手に対する
鋭い指摘や批判と取られてしまうのだけれど、
おとめの地点では、その視点がどうしても
必要なのだ。他者と自分は違うのだ、という確認が
できるからこそ、つまり、自己アイデンティティの
確立を図ろうとするからこそ、次のてんびんの
地点で、他者と自分の間に、対等なバランスを
保とうとする衝動が、実現可能になるのだから。

おとめはだから、観察の主眼を、他者ではなく
自分に向けておけば、必要以上に相手の"違い"に
気をとられることも避けられるのかもしれない。

それを理解すると、2ハウスうおのドラゴンヘッドの
テーマがもうひとつ見えてくる。相手と分かち合おう、
理解しあおうとする中で、どんどん逆に相手と自分の
違いが明確になってきたら、今度こそ、明確になった
自分を、自分で自分のテリトリー内に引き戻し、
そこで自身の安心できるステージを築き上げて、
自分のテリトリー内で、相手を受け入れ、自分を許す、
というテーマ。

そうだとするなら、いつまで経っても自分を通せずに
いるなら、もうこれ以上相手に変に迎合しようとするの
ではなく、まず自分のやりたいことをきちんと模索して、
ぶつかり合いながらも、いずれ妥協点を見つけて
いけるよう、やっていく方が、道が開けるということか。

分かって欲しい、なんていう贅沢は、この際、もう
諦めよう。いや、贅沢といよりは、傲慢さ、か。分かって
もらおう、という努力の背景には、相手に分からせる、
という、相手をコントロールしようとするパワーゲームが
潜んでいることにも、今回の件で気づいた。

分かってもらおうとする努力と、相手が分かってくれるか
どうかは、別問題なんだよね。その辺の切り離しが、
あたしの中でできていなかった。

恐ろしくて今まで口には出来なかった、"もう無理です。
(今の状態でいっぱいいっぱい。これ以上、努力したく
ありません。)"という言葉を、今日言えたことで、
こんなに肩の荷が下りた想いになれるとは思っても
みなかった。

無自覚のうちに、ここでも背負っていたんだなぁ、って。

決して、最初から良いお嫁さんではなかったけれど、
もう、本当に良いお嫁さんでいようとする、良い
お嫁さんと思われていたい、という視点はやめに
しよう。あたしは、この方にとっての良いお嫁さんには
なれないと思うから。

いや、いつかなれる時が来るかもしれないけれど、
少なくとも、今は無理だから。

だけど、とにかく子供たちのことだけは譲らない。
引き続き子供たちのことに関してだけは、イニシア
ティブはあたしが取り続けるつもり。それを優先したいと
思っている自分がいる間は、そこにプライオリティを
置き続けよう。お姑さんに、ひどい母親と思われても、
子供たちが可哀想、って思われても言われても、もう
躊躇はしない。

子育てに自信がないから、なんてことで、子供たちに
遠慮するのも止める。子煩悩さを、お姑さんに求めるのも
止める。子供たちがそれぞれ巣立ってくれる日まで、
あたしは、あたしのやれることを、精一杯やっていく。

そのことで、将来的に子供たちに責められても、
なじられても、理解されなくても。今あたしにとっての
ベストな選択は、これしかないと、今は思うから。

いつかまた、屈託なくお姑さんと笑い合える日が
来るなら、その時はその時、ケセラセラ。もう
二度とそんな日が来なくて、お互い、どちらかの
臨終の時に、死ぬ程悔いを抱いてしまうかもしれない
のも、その時はその時。ケセラセラ。

今、自分にできるベストをやっていよう。

以下、色々今日まで葛藤してきたことを書き連ねて
おきました。自分への備忘録として。つらつらと
冗長だし、内容が内容なので、読んでいて、決して
気持ちのよいものではないかもしれない。まだまだ
自分への言い訳がましいことを書いてもいるし、不愉快に
感じる方もいらっしゃるだろう。できれば、そうなりそう、
って敏感にも察する所がある方には、ご遠慮して
おいて欲しいし、万が一にも読んでしまってから
気分を害されてしまった方には、本当にごめんなさい。
先に謝っておきます。

ただ、ここに今日、こうして再び書けるようになる
までに、あたしが何と葛藤していたのかは、以下を
読めば少しは見えてくるかもしれないです。

ただし、これはあくまでも、今日現在までの
あたしの記録です。明日の朝になれば、来週になれば、
来年になれば、もう全く別のことを考えているあたしが
いるかもしれない。(むしろ、いて欲しい気がする(笑))
ので、それだけはあしからず。

とにもかくにも、今この地点でこれだけのことを書いて
はき出しておかないと、にっちもさっちも先に進めなく
なってしまってきているので。一旦ここで、自分レポートを
提出しておきます、自分のために(笑)
さっき冒頭で、戦争だ、って表現したけど、そもそもの
事の発端がテリトリー意識なんだよね。

あたしが自ら望んで選択した同居生活だったけれど、
それは古式ゆかしい方々にしてみれば、お嫁さんを
迎え入れる、という意識が、無意識のうちにも存在していて、
あたしはそこに入っていった、ということにもなるんだろう。

この、古式ゆかしい意識があたしの中に欠落して
いるのが、ここの家で同居するあたしの心構えの
甘さ、楽観視に繋がっていたのかもしれない。

けれど、旦那という人間を通してだけでは、あたしには
この家の古式ゆかさを見通すことはできなかった。
古式ゆかしい、とここで言うのは、典型的な日本の
家庭の在り方、という言葉に置き換えるといいのかも。
だから、問題は何も、この家のことに限ったことではなく。
典型的な日本の家庭が生み出す様々な事象を、
あたしがすんなり受け入れるのが難しい、ということ
なのだと思う。

旦那がアメリカの専門学校を出た人で、その後、
長い間、音楽業界にいた人だから、あたしは、その
旦那を通して、婚家を勝手に想像していたのだけれど、
その解釈が甘かった(^^;;;

*****

あたしも、両親揃って日本人だし、両親とも、日本人の
両親の元に生まれていて。だから、あたしも普通に
日本人家庭に育った、日本人なはずで。

でも、悲しいかな、やっぱり海外で生まれて生活した
という幼い日々の経験が、あたしを"典型的な日本人"
という枠にはまることを容易にさせてはくれず。
その意味で、海外生活のある旦那は、感覚的にも
価値観的にも共有できる部分があって、それはあたしに
とって、大きな心の支えとなってくれるものだった。

だからこそ、きっと旦那の育った環境も、あたしが
育った環境に似た部分があるに違いない、とあたしは
勝手に思い込んでいたのだ。

確かに、育った環境にも共通項は沢山あった。
例えば、お互い、父親が海外と日本を行ったり来たり
する仕事に就いていたことだったり、そんな父親だった
から、不在がちで、家では母親が父親の役割もしなくては
いけなかったり、だとか。そういう部分でも、分かり合える
よなぁ、って思ったりもしていた。

だからこそ、きっと同居しても、共通項が多い分、理解
しあえるはず、と思い込んでいたのだ。

もうひとつ、ここでも時々書いているけど、あたしにとって、
同居をしたい、と選択したもうひとつの大きな要素は、
お姑さんの"子煩悩さ"に惚れ込んでのことだった。

加えて、実家の一族の一部に漂っていた、ある種の
選民意識のようなもの、スノッブさが嫌で、家系とか
学歴とか、そんなものがものを言う世界から逃げ出したい、
解放されたい、という気持ちもあった。

ところがどっこい、だった(苦笑)

同居してみて理解したことは、うちの実家は、
やっぱり特異な家庭だった、ということだった。

あたしは血筋的には日本人の血が濃くて、
両親も、その上の代も、その上の代も、知っている
限りは、日本人の血しか入っていないから、純粋に
日本人だと思っていて、だから、両親が日本人で
あることに疑いも持っていなかったけど。

両親からして"典型的な"日本人じゃなかったのを
痛感することになってしまったのだ。両親共々、
お互いの両親が海外赴任で元々海外生活の
ある人たちで、そんな環境に生まれた両親同士も、
それぞれ、中学~大学を、アメリカで過ごして、
長い間、寮生活を送っている。

つまり、典型的な日本人家庭で育てられた訳では
ないのだ。

ここにひとつの矛盾が生じるんだよね。
海外で生活する日本人って、大きく分けて二種類に
パターンが分かれると思うのだけれど、一方は、
日本人であることを放棄するパターン、もう一方は、
あくまでも日本人として生きることを選択し、海外の
文化も受け入れつつ、日本としての精神は守ろうとする。

で、我が家は後者だったのだけれど、海外の文化を
受け入れるということは、そこで、純粋な日本の精神は
保存が難しくなる。ここでいうのは、いわゆる純粋培養と
しての純粋さだ。

根源的な部分での日本人としての精神は無くならない
かもしれない、けれど、海外を経験してしまうことで、
外界に触れた事の無い純粋培養的、日本人的精神は
多分、損なわれる。 つまり、日本から出たことのない
日本人と、海外を体験したことのある日本人とでは、
同じ"日本人的精神"といっても、誤差が生じてしまって
いるということ。

そして、幼い頃に、海外生活の洗礼を受けてしまって
いたあたしは、自分自身に関しては純粋培養的
日本人の枠にはもう戻れないことを、痛感しながら
生きてきた訳で、だからこそ、自分の伴侶には、
その枠に属せずにいる自分を理解できる人を
求めていた。

けれど、同居して見えてきた現実は、旦那自身は
その枠をはみ出した人間かもしれないけど、その
両親は、決して枠をはみ出した人たちではなかった
のだ、ということ。

旦那の父親は、船の通信技師で、船乗りさんだった。
それで海外と日本を行ったり来たりだったのだけれど、
何しろ船乗りさんなので、決して自身が海外生活を
送ってきた訳ではない。たまに船を降りて、彼の地で
街に出ることはあっても、生活をした訳ではなかった。
そして、旦那の母親、つまりお姑さんは、まるっきり
海外に出たことがない人だったのだ。それどころか、
嫁いで来た小田原の地を離れることだって、若い
頃に家族旅行で年に1~2回、あるかないかで、
今では年に1度も出ないことすらある。

もうこうなってくると、見てる視野にギャップが
有り過ぎる訳で、そもそも同じ空間にいることに
無理があったことに、今更ながら気づいたのだけれど、
これに気づくのに、何年かかったことか(泣)

*******

本当に細かいレベルの話だけど、例に挙げると、
例えば実家の母は、イギリスであたしを産んで、
あたしを育てた。当時のイギリス、というか欧米では、
子供は、甘え癖、だっこ癖が付くから、泣いても
すぐに抱き上げてあやす、なんてのは御法度、
という考えが主流だった。

多分、あたしもそうやって育てられたんだろうと思う(笑)

ただ、泣いている子供を抱き上げてあやさないことの
功罪については、最近、育児に関する色んな研究が進んで、
やっぱり赤ちゃんが泣く時には、抱き上げて安心させて
あげることがいいらしい、という流れになってきている。

それであたしも、自分が苛々してしまわない程度に、
できるだけ抱っこしてあやしてきたつもりだった。

ところが、そういう海外事情を知らないお姑さんは、
とにかく、子供が泣くのは可哀想だ、子供は抱っこ
してあやすもの、と、ただただ妄信しているのだ。

無理もないことなのだけれど、その出方が極端で、
子供たちが、もう自分で歩けるようになってからも、
泣けば、自分の部屋にいたって泣き声を聞きつけて、
お姑さんが走り出てきて、どうしたの?とあやす。

あたしにしてみれば、自力で歩いて、話もできる
ようになったのだから、悲しければ自分から歩いて
誰かに訴えに行けばよい、と思うのだ。でなければ、
自からの主体的な意志で自分の気持ちを訴える力が
つかないと思うからだ。そういう信念のもと、あたしは
子供が泣いても、身の危険に至らない限り、本人が
訴えてくるのをじっと待っている。

あんまり泣き続ける時には、一声ふた声かけるけどね、
子供の泣き声って、ハートが苦しくなって、だんだん
あたしまで苛々してきたりして、苦手なんだもん(^^;;

ところが、それがお姑さんには、思いやりが
なくて冷たい態度と目に映るらしいのだ。
あたしのやり方を、虐待している、とまで
思っている節があって(汗)

そうじゃないでしょー!! 子供の成長に合わせて
接し方を変えていかなくては、親は子供の召使いや
ご機嫌伺いではないのだと、肌で教えていかなければ、
外でも大人を捕まえて、同じことをしてしまうでしょー!!
話す能力がついたなら、歩けることができるように
なったなら、今度は自分の意志でその能力を使って
人と関わりあえるようにならないと、でしょー!!

おしゃぶりに関しても、あたし自身はおしゃぶりは
歯並びが悪くなるから、と与えられなかったのだけれど、
その代わり、ラグやぬいぐるみが手放せず、いつも
ラグやぬいぐるみの端っこをくちゅくちゅとしていたのを
記憶していたし、あたしが選んだ育児書には、口に
ものを入れてしゃぶる、という行為自体が、赤ちゃんに
安心感を与え、情緒を安定させる、と推奨していたので、
実家の母に反対されても、上の子の時には3才くらいに
なって、本人があまり興味を示さなくなるまで使い続けて
いた。

それが下の子たちの時には、同居を始めたので、
おしゃぶりは、子供の口を塞ぐみたいで可哀想だ、と
毛嫌いするお姑さんに、半ば強制的に外されてしまい、
使うのを断念しなくてはならなくなった。説明しても
聞く耳を持ってくれないのだ。自分はそうしてこなかった
から、と。

今思えば、子煩悩さのもつ弊害に、この頃気づいて
いれば、まだ後戻りもできていたのかもしれない。
3人の子供と、幾人もの孫たちを先に"育児"してきた
彼女を止められる人など、冷静に観察していれば
もうその時気づいても良かったのだ。

色んな世界があって、色んな人間がいて、色んな
やり方があるのだ、ということを体感している人と、
そうでない人。もっと他にいいやり方はないのかと、
外の世界に目を向ける人と、あくまでも自分の
経験のみに頼る人。

それは一言で言えば経験の差。だから、決して優劣で
語れるものではないのは理解している。そして、冒頭に
述べた通り、喧嘩は両成敗。 あたしにも、やり方の選択が
間違っているかもしれない、という負い目はある。テキトーに
流せる大人さ加減や、相手の物差しを受け入れられるだけの
器の広さがあれば、もっとにこにこ笑って、何でも
許せるのだろう。

**********

でも、あたしにはどうしても受け入れられないのだ。
例えば、親しい家族だからといって、家族に向かって、
"おい"とか、"おまえは"なんていう呼び方をする乱暴さや。

40過ぎた子供を捕まえて、中学生相手に説教をする
かのような傲慢な態度や。

仲良くやっていこう、という言葉の実態が、自分にも
人にも適当なごまかしでその場、その場を表面的に
うまくやっていくことだったりすることや。

自分の居場所や楽しみを、唯一、子育てだけに託し、
子育てが終わっても延々と、子供の世代を飛び越して
でも、孫とその関係を続けて行こうとすることを。

どうしても、受け入れられないのだ。

ましてや、何度話し合って、何度に喧嘩になって、解決を
試みても、話し合いの中身がうやむやに葬り去られ、
いつの間にか無かったことになってしまい、また同じ事の
繰り返しの日々になることに、限界を感じるようになり
つつある。

申し訳ないけれど、ここまでくると、もう信頼関係すら
築くのが難しい。そして、そんな相手に、自分の子供を
任せる訳にはいかない、と、自分の態度を硬化させずには
いられなくなってしまった。

**********

そして昨日また、以前にも話し合って、やって欲しくない、
と意志を伝え、納得してもらったはずのことを、やられて
しまったことに気づき、たまらず、さっきそのことを抗議
したのだった。以前にも話し合った、というのは、以前にも
"何度も繰り返し"話し合ったことなのだ。

子供達のおもちゃを片付けてあった大きな籠があるの
だけれど、子供たちが空き箱なんかを再利用して
作った、大人の目にはがらくた同然のものばかりを
その籠に入れていた。でも、子供たちは、材料が
足りなくなるとその籠から、また再利用して使える
ものを探したりしているので、あたしはそのまま
子供たちの"作品(笑)"を、勝手に捨てたりせずに、
子供たちがしまうままにしてあったのだ。

ところが昨日、お盆で我が家にもお坊さんが
みえることになっていたらしく。またこれも、そうなら
そうと事前にきちんと話していてくれれば、こちらだって
お客さんの目には触れさせたくないものくらい、きちんと
片付けておくものを、一言もそんな相談なしにいたから
こちらはそんな事情も知らず。

旦那とみんなで出かけて、戻ったら、その籠の中身が
すっかすかになってしまっていたのだった。

今朝になって案の定、籠の中に昨日まで入っていた
何かを探そうと、下のちびが籠の中を覗くも、中が
ほぼ空っぽ状態、しかも残っているのは、完成された、
壊したくない"作品"ばかりで、使い回しが利かない!

それで、ちびがおばあちゃんの部屋に行って
"かごの中のもの、出してちょうだい"と訴えに行ったけど、
"おばあちゃん、かたづけちゃったんだって。"と肩を落として
戻ってくる。

もう何度もこの件に関して話し合ってきたのに、また
これだ、と、カチンと来たあたしは、事の真相を聞きに
お姑さんの部屋へ。ところがいない。お舅さんに所在を
確認すると、出かけていないはずだから、どこかにいると
思う、おかしいなぁ、トイレかなぁ、と。

そして、お手洗いを覗きに行ってくれたけど、ぎょっとした。
どうやら子供たちがあたしに、籠の中をおばあちゃんが
片付けちゃった、と訴えに来たのを察して、トイレに
隠れていたらしいのだ。トイレを掃除するふりをして(ーー;

まぁ、そんなこと、突っ込んでも仕方ないので、
気づかないふりをしつつ、以前約束した通り、お姑さん宅に
属するもの以外、勝手に許可無くいじらないで欲しい、と
もう一度訴え、籠の中身を返して欲しいと言うと、もう
捨ててしまったから返せない、と言われてしまった。

ブチっ(((激)))

どうして?どうして?どうして人のものを、相手に
相談することなしに、勝手にいじったりできるの。。。???
ましてや、人に一言の相談もなく、処分してしまう、って
どういうこと。。。? 親のあたしですら、子供たち
本人に聞いて確認しなきゃ、相手が大切に思っているもの、
いらないと思っているものなんて分からない。

それを、どうしておばあちゃんが、人のいない間に、
選別して、処分までできちゃう訳??しかもしかも、
もうその話は何度も何度も繰り返し、お願いだから
人が留守をしている間に相談もなく、人のものを
いじったり片付けたり、ましてや処分したりするのは
やめてください、困りますから、ってお願いしてあるのに。。。

"わかりました、もうこれからはしないよ"と繰り返す
お姑さんに、"これから、っていつからですか?もう前にも
何度もこの件はお願いしてありますよね?"とキレるあたし。

ふぅ。まただよ。また同じことの繰り返しだよ。
そして最後にはお決まりの、"もう、仲良くやっていこうよ"
発言。

ちょっと待って。
仲良く、っていうのは、適当にその場その場をうまく
やっていく、ってことじゃないよ、少なくともあたしに
とっては、そんなやり方は、仲良くっていうカテゴリーに
入らないよ!!って。

だから、"もういいです、無理です。できません。"と
きっぱりと断った。

仲良くやるために、何度も色んなことを話し合っている
はずなのに、それを、人が見ていない場所からじわじわと
なし崩し的にうやむやにしてしまうやり方で、結局は
自分の都合のいいやり方を通す人と、こ以上約束事を
する勇気や忍耐強さは、今のあたしは持ち合わせて
いないのだ。これ以上の前に、既に現状だけでもう
いっぱいいっぱいだというのに。

戦争をしかけておいて、話し合いは決別に終わらせた。
再び冷戦状態。 正直、この先どうなるか分からない。
この先相手とどうしたいか、なんて、そんな理想的な
展望を抱けるゆとりなんて、まだ持てないのだ。
とにかく、相手とこちらに一線を引くことで精一杯。

頭の中では、こんな状態良くない、って頭では分かってる。
しかも、昨日一昨日と、今回の冷戦について、ホポノポノ
していたばかりだった。その結果がこれだ(笑、まだまだ
当分、この肉体を通して、やらなきゃいけないこと、
経験しておかなきゃいけないことが山積みなんだろう。

そう言えば、少し前に、お姑さんとの確執のことを
考えていた時、降りてきたイメージがあった。
喩えていうなら、正室と側室の二人の女性の関係
だった。

あたしはその時も、子供に恵まれなかった。
正室と言っても、それは大奥とかではなく、
元々は巫女かなんかだったのを、結婚に興味も
ないのに、娶られて、とか、そんな感じ。

だからそこから察するに、あたし自身は、別に
正妻に迎えられたことを有り難くも何とも思って
いなかったし、むしろ、自分の進んできた道を
通せなかったことを腹立だしく思っていたくらい
だったのではないかと。

だから側室の立場の彼女に子供ができようと、
彼女が寵愛されようと、きっと同じ土俵に
上がることはしていなかったんだと思う。
でも、側室の立場だった彼女にしてみれば、
子供も生めず、それでものうのうと正室の座を
明け渡さないあたしが疎ましかったのだろう。
きっと彼女の方が、彼女なりに愛していたの
だろうね、相手の男性を。

そして、その男性の気を引くために、一生懸命
子作り、子育てに邁進したんだと思う。

でも、あたしが全然意に介さず、同じ土俵に上がらない
ものだから、余計に躍起になってちょっかいを出して
きていた。

何かそんなイメージの関係。

そんなあたし達が、今回は義理の親子として
出逢ってしまった訳だ。姑と嫁として。
しかも、今回はあたしも、あたし自身の子供を
授かったから、余計に話がこんがらがってくる(笑)

こんな風に厄介なことになるから、できるだけ
その都度その都度、その人の肉体における人生で、
宿題は片付けておいた方がいい、ということ
なんだと思う。できるだけ、未来にカルマを
残さず、その回で宿題を終わらすべく、精進して
いく姿勢でいた方が、後々魂が繰り返す新たな
人生において、前に進みやすくなるんだろう。

だから、できるなら、お互いにこの肉体を持って
いる間に、ちゃんとケリをつけたいと思ってる。
ただ、今はまだ、ケリをつけたい、もっといい
方法を模索したい、と願っているだけの段階。

その前に、自分のテリトリーをはっきりさせる
ために、やっとここまでやった、という感じかな。

つまり、あたしは嫁の立場でこの家に嫁いで
きたけれど、あたしはあたしの生き方で生きて
いくし、この子たちは、あたしが授かった子で、
あたしを選んで来てくれたのだから、迷いながら、
子育てに対する自信のなさから来る不安を抱え
つつも、あたしなりのやり方で、きっちりこの子
たちを育てていく、という決意。

きっと、ここから始まるのだろう。やっと
スタートラインに立てた、ということなの
かもしれない。

お互いが、お互いの正義や大義名分を主張して、
譲ることができなくて、そこに戦争が起こる。
あたしが今ここで巻き起こしている現実の、
ちょっと規模を大きくしたものが、外の世界で
起きている戦争なんだよね。

まず、このレベルで、どうにかこの現状を
打破しなくちゃね。。。

06 aug 20th event at La Foret

えへへ。 
先日、恵比寿某所にて面接を受けてきました。
で、無事内定を頂いたので、ちょっとばかり
告知を。

8/20(sun) 原宿Laforet Museumで行われる、
雑誌Soupさん主催のファッションイベントで、
占い体験ブースに出演することになりました(^^*

2部構成で、1部は入場フリー、2部は招待状がないと
参加はできないそうなんですが、なんと土屋アンナちゃんの
ライブがあったりするそうですー! すげー、若者ワールドっ!!
あたしも、覗かせて頂こうかしらん?なんて、5hふたごの太陽で
ミーハーアンテナが反応してます(笑

占いブースは2枠で、先着計16名様のみの受付なんだ
そうで、雑誌の読者さんでないフリーの方は、ひょっとしたら
難しいかもしれないね(^^;

でも、他にもメーキャップ体験ブースやら、人気モデルさんに
よるトークショーなんかもあるそうなので、当日渋谷、青山、原宿
界隈にいらっしゃるご予定のある方は、是非♪

ちなみに、1部は、13:00~16:00だそうです。
詳しくは、前出のリンク先からどうぞ☆